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光の眼に飛び込んで来る時差

2018/04/10

 読者の皆様へ。

 光が目に飛び込んで来る時差について、考えましょう。

 地球上で、例えば昼間とします。とても、目の良い人がいます。その人

の目に飛び込んで来る光、光子は、物に反射して目に届く訳ですから、

それを脳が認識して、映像として、頭の中で整理された像が見えている。

 だから、個人個人で、全く同じ景色が、少しずつ違って見えている

可能性があります。1人1人の脳が違っていることで。

 また、距離の違い、奥行きの違いも理解し難い要因です。僅かに距離

の違う景色、遠くの山々、近くの人では、反射されて眼に飛び込んで

くる時間差があります。それが、例え0・0000001秒の差でも、

時間差のある映像が、脳に同時に認識されています。

 今現在の映像と過去の映像が、同時に脳で認識されている訳です。

これは、もしかしたら、遠くの山々がかすれて見えることにも、関係

があるかもしれません。只、遠近という問題ではなく。

 医学的には水晶体の変形がどうのこうのですが、近視、遠視について

は。ですが、近くの物が見え無くて、遠くの物が見えるのも不思議です。

 その時間差が、脳に及ぼす仕組みが、生物の進化の中で、どの様に

行われたのかが不思議です。恒星で例えると、1000万光年離れた

過去の映像と、地球上の今現在の映像を、同時に脳で見ているのです。

 続きはまた今度に。

                  2018年4月10日 著者

 

時間とは何か?

2018/04/09

 読者の皆様へ。

 時間とは何か? 一番に難しい要因であると思います。

 例えば、シーラカンス。1億年間?くらい、種を存続させて、進化をしなかった

魚です。それが、太古の昔には、恐竜と同じ時代に生きていたのです。昆虫でさえ、

恐らく進化して大きさなり形なりを変化させてきたのに。余程、臆病で慎重な種で

あったのだと思われます。

 光が波の性質を持つ様に、時間も波の性質を持っていたら恐ろしいことです。

誰でも、あと1秒早かったなら、遅かったなら、間に合った、死んでいたという

経験はありますよね。

 これから、私はいつもの仮定を言います。時間が例えば、正弦曲線の軌跡を辿る

としたら、時間の流れに対して、変位は何に当たるか? 恐らく、時間の流れる

方向なのか、目に見えている世界なのか、加速度的に違う時代の流れ方なのか?

 正弦曲線が、次々に正の方向に進んでいるとすると、それらの時間は重ならない

で、ある地点では正の方向に時間が流れていて、負にも時間が流れている。そう

すると、例えば同じ座標の空間を共有していても、物質同士がぶつからないこと

もあり得る。共鳴することもあり得る。あくまでも、仮定です。

 物質が絶えず振動していること。空間はその遊び場でそこに佇んでいる。では

、時間は何だろう? 昔、私が不思議に思っていたのは、家を10分前に出発し

た人間に、後から出掛けた私が追い付くことだ。先に出掛けた人は、10分先の

未来を生きているはずなのに。

 これを光、光子に変えて考えてみると、先を急ぐ光子を、後から追い掛けてきた

光子が追い越したら、理論上おかしい。時速50キロメートルのボールを、時速

100キロメートルのボールが追い越すのとは訳が違う。物凄い加速度で放出され

た遠くの恒星からの光子が、真空に近い空間で(ダークマターの存在は考えない)

一定速度を保ち、やがて地球に達する。この光子は、1000万年前の光子とする。

 これに、極近い太陽からの新鮮な光子が地球に届くとすると、これらの光子は、

1000万年の時を超えて並行的に地球に達した。遠くの恒星からの光子は、

1000万年の歴史を持って。

 これらの光子の違いは何か? 答えられる人はいるだろうか?

 続きはまた今度に。

                        2018年4月9日 著者

時間とは

2018/04/09

 読者の皆様へ。

 『 時間 』の本質に、入って行きましょう。

 例えば、ある物質が、ある距離を、ある時間で通過したとします。

式で表すと,、Y = Vot + 1/2×α×(T)(T) と書けます。

 この式は、物質、空間、時間の1つでも欠落すると、成り立ちませんよね。

つまり、物質が無ければ、時間の経過を計る尺度がなくなる訳です。

 空間(距離)についても同様です。つまり、宇宙∞は、物質が無くても、

空間が無くても、時間が経過しているのか、解らないということです。

 物質の無い世界での時間の経過。空間(距離)の無い世界での時間の経過。

あり得るようで、まず、想像できないし、存在していませんよね。

 人間は、今現在ある、存在している事象を評価しようとしています。

ですが、存在していないように思えるものに懐疑的です。だから、

物質については、物理学、空間については図学等で学んでいます。しかし、

時間の学問は何でしょうか? 正体が全くと言っていいほど判っていない

のです。

 時間とは、永久的なものであるなら、始まりも終わりも無いもの。

直線的、曲線的、平面的、立体的で無い何かです。

 要するに、人間の眼には見えないが、身体で老いとしては経過を感じる

事ができるのです。まだまだ、書きたい事は山程あります。

 続きはまた今度に。

                     2018年4月9日 著者

時間について続き

2018/04/08

 読者の皆様へ。

 『 時間 』について補足です。

 人間が、昆虫を飼っている場合を考えましょう。逃げ水です。

 例えば、カブトムシが机の上を歩いていて、エサのスイカにたどり着け

そうになったとします。その時に、子供が意地悪をして、カブトムシを

つかみあげて、元の位置に戻します。そうすると、カブトムシはまた、

スイカに向けて歩き出します。

 これは、子供がカブトムシの使った時間を盗んだ事になります。神も、

人間に対して同じことをします。だから、思い悩んだり、記憶の欠落が

起こるのです。これは、医学的考え方では、脳の記憶を司るなんたらかんたら

ですが、神学的には、記憶を奪われる訳です。

 皆さんは、例えば40年間生きてきた人でしたら、どれだけ過去の記憶を

覚えていますか? 勉強で得た知識とか、インパクトのある出来事しか

覚えていませんよね? 日常的に何をしていたか覚えていませんよね?

それは、分岐点ではないからです。

 要するに、人生、道のりの選択の時というものです。神が与える運命の

分かれ道を、個人がどう選択するかを見られる訳です。

 正しい選択をすると、人生が上手くいき、間違った選択をすると、人生

が狂います。しかし、人生には、調整が利きます、努力次第で。

 神は、優しくもあり、厳しくもあるのです。むしろ、そこからの再生を

見られている気がします。そこで、他人の責任にしたりすると、努力を

怠り、泥沼に陥ります。

 科学的、哲学的、両面から見るとそういうことでしょう。

 続きはまた今度に。

                     2018年4月8日 著者

 

時間について

2018/04/08

 読者の皆様へ。

 今日は、『 時間 』について色々と考えてみましょう。

 昔、パラレルワールドと言う言葉が流行りました。これは、断面的に、世界が

少しずつずれて存在しているのではないかという理論です。

 仮に、2つの分かれ道が存在していて、そのどちらかの道を進む、又は人生を

歩むことを決めたら、違う人生になるでしょう。それを、地球上の生物全てが

それぞれ自由に動いていて、1つの時間軸に乗っているとします。

 ここで、誰かが違う行動をとっても、その人はその時間軸から外れずに、

存在し続けます。では、違う行動を取った本人はどこに行ったのでしょうか?

 多分、ここで私は1つの仮定を提唱致します。時間は直線的、平面的に

流れているのではなく、立体的、もしくは人間には理解不能な4次元的な

流れ方をしているのです。

 だから、仮説としては、魂がまずあって、時間的、空間的、物質的にずれた

自分が幾人も存在している。そして、仮に、その誰か1人でも事故死で死ねば、

あるもう1人の自分は同じ瞬間に病気で死に、老衰で死んでいく。

 そして、天界なり、地獄なりへと魂が飛んでいく。だから、今、健康な自分

もいれば、肉体的、精神的に病んでいる自分も存在している。それを、神、

ここでは宇宙∞とさせて頂きますが、全てコントロールしている。

 神、すなわち万物の全ての創造者は、非常に頭が良く、自分が不死になる

為に、自ら宇宙∞に溶け込み、万物をコントロールしている。人類が互いに

反目しあうのも、好きになるのも。

 これは、学問の域を超えた、神の領域の事であると思います。運命に従って

生きた人間や動物には、新しい次の生命としての道が開かれていて、逆らった

者には地獄の沙汰が待っている。

 神は、優しくもあり、厳しくもあり、強くもあり、誠実でもあり、ユーモア

に溢れていて、時に恐ろしい存在だ。神とは、そういうものであると考えられます。

 哲学的には、時間と宇宙は、そのようにできていると考えられます。

 続きはまた今度に。

                         2018年4月8日 著者

 

 

 

 

3点と4点と2点の違い

2018/04/05

 読者の皆様へ。

 本日は、2点、3点、4点について、考えましょう。

 まず、1点では、面積がありません。2点を繋げると線になります。

3点を繋げると面積ができます。4点を繋げると体積ができます。

 人間の足は2本ですが(一般的に)、走ったり、躓いたりすると、転びます。

 椅子を考えましょう。床が平面の時には、足が4本の方が安定します。

足が3本の時も安定します。

 では、床がデコボコの時を考えましょう。足が4本では、床のデコボコに

フィットしない時にはぐらつきませんか? ですが、足が3本の時には、何故か

フィットします。カメラの三脚もそうですね。

 では、床がデコボコの時には、足が平面の時にはどうですか? やはり、

ぐらつきませんか。何故か足が3本の時が一番、どんな状況でもフィットします。

3とは不思議な数字で、特別な数字です。

 皆さんも、3について色々と考えて下さい。色の三原色。その他のものでも

そうです。

 続きはまた今度に。

                        2018年4月5日 著者

空間について

2018/04/05

 読者の皆様へ。

 今日は『空間』について考えたいと思います。

 『 空間 』とは、「 物を満たす事もでき 」「 物で満たさない事もできる 」

ものです。

 例えば、空の鉄の密閉された、真空の箱を考えます。これを、手で振ってみると、

中に隔絶された『 空間 』は、切り取ることができません。絶えず、別の座標の

空間が、箱の中に隔絶されています。

 逆に、地球の公転を考えます。太陽の周りを公転している状態で、高密度の

地球が絶えず空間に質量を満たしながら移動しています。

 問題は、その時に空間の歪みが起きているかです。

 高重力の傍では、空間や時間が歪められると言われています。ですが、多くの

要因(見えていない物質ダークマター他)も考えられるので、理論の構築は難しい

ですね。

 物質は空間に影響力を及ぼしているようで、及ぼしていたり、いなかったり

しているのです。時間についても同様です。

 『 時間 』はまず、ベクトルを持たない因子です。持っていたと仮定すると、

宇宙∞が多角的に膨張している説明がつきずらいですし、部分的に収縮している

説明ができません。

 続きはまた今度に。

                        2018年4月5日 著者

桜について

2018/04/03

 読者の皆様へ。

 今現在、新年度で、新社会人や新入生は、新鮮な感覚で仕事を、新生活を

始めたことと思います。緊張と期待の入り交じった気持ちで。

 この季節の風物詩と言えば、『桜』ですね。『四季桜』という例外もあり

ますが、桜と言ったら日本では、入学式、入社式に時期がかぶります。

 日本では、今年は例年より1週間くらい早く桜(種類による)が開花した所

が多かったみたいですね。

 桜と言えば花見です。桜?の咲く時期は短いので、1年に1回花見をできた

として、人は1生に約80回(ものごごろがついてから)くらいしか、花見がで

きないことになります。そう考えたら、少ない気がします。

 桜はどうして春の3月末~4月初旬(地方によります)の季節を、1日単位で

感じ取れるのか気になります。珊瑚の産卵も、条件がより緻密に決まっている

と聞きます。

 何が言いたいのかと言うと、遺伝子の事が最終的に関係してくるのです。

これは、ある人に桜が何で短い間にしか花を咲かせないかの哲学を聞いた

からです。

 動物、植物は、何故か純血を好みます。他の種と交わることを嫌がるの

です。人間についてもそれが言えます。結婚は同一民族で。

 これは、共感によるものであると思います。文化的、民族的な底にある

性格的癖のようなものが、遺伝子レベルで、記憶されています。

 だから、山に住みたい人、海の傍に住みたい人、不便だけれども極寒の

土地柄が好きな人等に、趣味がわかれます。そうすることで、種の分散を

行い、土地に定着化して、全滅を防いでいるように思えてなりません。

 続きはまた今度に。

                     2018年4月2日 著者

人口数増加の弊害

2018/04/02

 読者の皆様へ。

 前回の続きです。

 人口数がこのまま増加していくと、地球はどうなるか? 考えたことは

ありますか?

 何時もの言い口ですが、私は人類学者ではありません。まず、200億人

の地球の営みを想像してみて下さい。明らかに息苦しいのではないでしょうか。

 森林面積が減り、宅地面積が増える。食料供給の為に、農地も、酪農地も、

確保しないといけない。世界的飢饉が起こる可能性があります。地球規模の

異常気象によって。

 森林面積が減れば、当然、二酸化炭素濃度が増え、酸素濃度が減る。200

億人分の食料を、毎年、確保し続けなければならない。海洋の魚は乱獲されて、

魚影は無くなる。

 人間は、タンパク質や炭水化物や脂肪分を、最低限必要とする。しかし、

その成分は、地球上には限りがあります。もちろん、民族紛争で、難民も出る。

気候変動で、雨が降らなければ、緑地がサバンナへとなり、やがて砂漠化する。

 『では、どうする?』 他の惑星に移り住もうにも、その術が無い。頭を抱え

ますよね。そのうちに、他国で人が何らかの災害で減ると、悲しむどころか、

嬉しがる輩が出る。

 世界的機関が世界平和を唱えても、皆、イライラrするのではないが、

不安を煽る訳ではないが、ゆゆしき問題であることに間違いはない。

 今度は、逆説的に考える。人口増加を抑制するのだ。地球の許容範囲を計算

して。人間の人口数を、余裕を少し持たせて。そうしないと、どうにも突然の

偶発的事故で、環境変化で、数値にするのも恐ろしい程の死者が出る。

 私は、予言しているのではなく、予測をしているだけだ。

 続きはまた今度に。

                       2018年4月2日 著者

西暦2100年の世界人口数問題

2018/04/02

 読者の皆様へ。

 西暦2100年の世界総人口数について、考えましょう。

 ネットで軽く調べた所、2100年には、世界人口数は『112億人』に

なるとの、試算が出ていました。これを多いととらえるか、少ないととらえる

かは、個人の認識の自由です。

 因みに、現在2018年の世界人口数は、約『76億人』であり、単純計算

で、約1・47倍(1・5倍)になる訳です。

 今現在よりも、個人1人1人の生き延びる能力が問われる時代になるのでは

ないでしょうか。

 例えば、生産現場の自動化による失業率の増加(物はあっても買えない)。

農業生産物の大量生産化(地球上環境の悪化で、作物が育つかどうか)、少子化

高齢化(生きることが苦しいのではないか)、資源の枯渇(魚介類の減少と燃料の

減少)、森林の減少(気候変動と大気汚染)。

 どうも、暗い話題になっていまうが、2100年はまだましに考えています。

例えば、1000年後です。西暦3000年。この時代になると、人口が多く

なりすぎて、呼吸的にも、生活的にも、精神的にも、人類は息苦しいのではな

いでしょうか?

 何か、天変地異、戦争で人口が減らない限り、世界人口数は、200億人~

300億人に達したら、地球はどうなるのか? 地球上の有機物と無機物の

存在比率も、存在数も変わりません。

 恐らく、現在の人類とは別の性格、体格、精神、あらゆる分野で違う人格

の人類になっているでしょう。

 私は預言者と呼ばれたくないので、常識的な範囲で予測をしているだけ

です。

 それに、宇宙物理学的な環境の変化も考慮しましょう。太陽の膨張、地球

の地軸のズレ、その他。果たして、3000年後、西暦5000年を、人類は

迎えることができるのか。

 私は、今が楽しければそれで良いかもと考えています。魂が、宇宙∞に、

召されて行く。恐らく、100歳まで達せずに。

 皆さんは、子孫を残して、我が世の短い春を謳歌していますね。私も、楽しい

人生をおくっています。

 太陽系は、確か直径1光年と教えられたと思います。1光年とは、光の真空中

の速度(約3・0×10の8乗 m/s)で、1年間をかけて進む距離なのです。

これを考えると、頭を抱えます。

 皆さんはどうしますか?

 続きはまた今度に。

                        2018年4月2日 著者