時間について続き

2018/04/08

 読者の皆様へ。

 『 時間 』について補足です。

 人間が、昆虫を飼っている場合を考えましょう。逃げ水です。

 例えば、カブトムシが机の上を歩いていて、エサのスイカにたどり着け

そうになったとします。その時に、子供が意地悪をして、カブトムシを

つかみあげて、元の位置に戻します。そうすると、カブトムシはまた、

スイカに向けて歩き出します。

 これは、子供がカブトムシの使った時間を盗んだ事になります。神も、

人間に対して同じことをします。だから、思い悩んだり、記憶の欠落が

起こるのです。これは、医学的考え方では、脳の記憶を司るなんたらかんたら

ですが、神学的には、記憶を奪われる訳です。

 皆さんは、例えば40年間生きてきた人でしたら、どれだけ過去の記憶を

覚えていますか? 勉強で得た知識とか、インパクトのある出来事しか

覚えていませんよね? 日常的に何をしていたか覚えていませんよね?

それは、分岐点ではないからです。

 要するに、人生、道のりの選択の時というものです。神が与える運命の

分かれ道を、個人がどう選択するかを見られる訳です。

 正しい選択をすると、人生が上手くいき、間違った選択をすると、人生

が狂います。しかし、人生には、調整が利きます、努力次第で。

 神は、優しくもあり、厳しくもあるのです。むしろ、そこからの再生を

見られている気がします。そこで、他人の責任にしたりすると、努力を

怠り、泥沼に陥ります。

 科学的、哲学的、両面から見るとそういうことでしょう。

 続きはまた今度に。

                     2018年4月8日 著者