宇宙と神と生命 Ⅱ

宇宙と神と生命 Ⅱ

第1章 大宇宙∞ 

大宇宙∞は、過去にも未来にも『 時間 』が無限に存在している。
始まりと終わりの無い果てし無い存在でなければ、理にかなわない。恐らく、1兆光年、1,000兆光年未来も時間の経過は続くし、過去に向けても1,000兆光年先まで遡れるはずである。

大宇宙∞を理解する方法としては、信仰と科学の側面が、地球には存在している。
信仰は人類、若しかしたら、他の動物にも代々伝え受け継がれている神々の伝説である。これは地球上のあちらこちらで引き継がれていて、書物、古代言語として残されて現在に伝えられている。科学は人類の持っている知識と技術を蓄積した武器だ。経験則から始まって、それを科学的に実証・検証して初めて使い物に成る学問の1つ。

『 神 』は数百億年に1回のスパンで、瞬きをしているはずである。この永い瞬きの瞬間の間に、太陽系も出来て消えて行くに違いないと思われる。神の眼は宇宙の隅々まで見渡していて、生物の善悪をみているが、生物の善悪によって生物の一生の中で直ぐに褒美を与えたり、罰を下したりしない。元々、神の善悪の基準と、人類の善悪の基準が異なるのだ。

例えば食である。人間は地球上の全ての有機物を食するが、その逆は許さない。要するに、人間を生態系の頂点として、スポーツハンティング等、自然界ではなかなか有り得ない無意味な殺戮をする。戦争もそうである。

神の正義は違う。全ての物、『 物質 』『 空間 』『 時間 』の創造主である神にとって、本当の正義とは正しい行いである。正しい行いとは、慈愛、忠誠心、優しさ、実直さ、理性、その他数え切れないものである。しかし、それは少し違っている。知性の低い者が想像するに、『 神 』にとっては既に自分の決めた未来、運命に従って動いている者が正義であろう。何故なら、『 神 』は万物の創造主であるから。

一方で、それを守らないのも人類である。
人間の瞬きの間隔は5秒程度であろう。しかし。神からしたら生物の一生など、ほんの神の1秒にも満たない時間なので、神の瞬きの1回の中で、銀河が形成されたり消滅している事になる。だから、人間は長くて約100年の人生の中で成功を収めて甘い汁を吸う者も居れば、貧困や病気で苦しむ者もいる。要するに、神からしたらそんな100年程度の一瞬の出来事に腹を立てたり、哀れんだりせず只、静観しているのである。そして生命の死後に、身体を失い時間的概念が無くなった生命を『 裁定 』に掛けて、物質世界で暴利を働いた者には重い罰を与え、苦難の人生を歩んで来た者は『 天使 』であるとする。

大宇宙∞は、先ず人類の尺度では測り知れない。とにかく、無限で悠久で遠大で巨大な『 物質 』『 空間 』『 時間 』を持っている。
よく、我々の住む宇宙の歴史について百何十億年と議論がされているが、そんなものはこの宇宙での話しだ。所謂、離れ小島で船を持たない民が、外海の景色を知らないもののような事に例えられる。

原始の人類を考えてみるとよく判る。地球の大陸には少しの民族が移住して行ったが、御互いに連絡を断ち切っていた。行ったきり、帰って来なかったし、帰ろうという知性も持ち合わせて居なかった。
要するに、この宇宙と100億光年離れた宇宙が存在していても不思議ではない。その間を繋ぐものは海洋に例えられる。だから、その遠大な距離を観測する事も不可能だし、地球の球に例えるとその宇宙からの光も届かない。傾斜によって。

ここまでは『 物質 』『 空間 』の話で、『 時間 』を考慮に入れていない。離れた宇宙が存在していたと仮定すると、まず時間的経過の仕方が異なる。
人類が拘るビッグバンにしても、他方向的に同じ加速度など有り得ない。だから、右にある加速度で放出された『 物質 』と『 空間 』と『 時間 』が存在していても、左にその数百倍の加速度で3要素が放出されたら、その宇宙は歪な形になる。
それらが、整頓された形状から混沌へと向って行く。その混沌はまた、散乱された3要素という形で漂う訳では無く、『 神 』によって何らかの方法で集められ、再利用される。

大宇宙∞が無限でなければ、また、人類の将来も考えられない。何時か、人類に向けて『 神 』の救いの手が差し伸べられる時に、人類の住む居場所が地球という閉鎖地域に成ってしまうであろうから。
これは、『 神 』の救いの手を待てと言っている訳ではなく、人類は最大限の努力をするべきだし、元々、全ての3要素を動かしているのは『 神 』であろう事から、何らかの予兆なり、警告なり、導きがある。それに人類が気付く事が出来るかが問題である。

この物語は、地球上の3人の男女の運命を辿り、それぞれの人生が運命と自我によって、どの様に翻弄されて行くかを書き示した『 宇宙と神と生命 』の第2部として、書き綴っていくものである。

第2章 夕暮 

季節は神無月の中頃に差し掛かっていた。
湘南地方の外れにある、横浜市の庭付き一軒家。この家は、JR根岸線とJR東海道本線、JR横須賀線、湘南モノレールのターミナル大船駅から車で15分の距離。七里ヶ浜と鵠沼の浜に挟まれた江ノ島まで車で30分の距離にある高台に位置する住宅地である。
この一軒家は本郷台駅が最寄り駅で、この辺の子供達は、「浜っ子」と「湘南ボーイ」の中間である。
近所には、湘南海岸が近い事もあり、サーファーの御兄さんもちらほらいる一方で、学業に専念する真面目な勉学少年もまた多い。母は、兄弟がサーフィンを始めてからは、周りの皆に、「 うちの子達は湘南ボーイなのよ 」と、何時も紹介していた。

本日は秋晴れの日で、気温も適温である。未だ、この地方では上着はTシャツの上に1枚羽織るくらいで十分である。風は微風で、南から吹いてきている。
本日は、土曜日。弟は大学の新学期が始まったばかりで、履修登録の為か大学に行く旨を伝えて朝7時頃に家から出発していた。
直弘も大学共通試験の願書を出し終えて、一安心している所である。本日はこれから家に訪ねてくる2人の女性の事は、両親には話しているが、弟には内緒にしている。
彼女達からは、「 午前9時頃に御家に到着しそうです 」と、連絡が入っていた。車で今、2人で藤沢辺りの海岸線を走っているとのことである。
9時を大きく過ぎた頃に、一軒家のチャイムが居間の中に高音で長々と響いた。直弘が小走りで玄関に向かいドアを開けると、花柄のロングのワンピースと清楚な服装の薄化粧の女の子が2人、立っていた。
3人は御互いに笑顔で軽く挨拶してから、直弘が玄関に入る様に促すと、沙織と彩華の眼には目の前の木製の下駄箱の上に、大きな熱帯魚を飼っている明るい水槽が目に飛び込んできた。
居間まで2人の女性を通すと、直弘の両親が向かいの奥のソファーに座っていて、「いらっしゃい」と、丁寧な口調で話しかけた。3人はソファーにそれぞれ座ると、お菓子を食べながら談笑した。直弘の両親は、しきりに2人の女性に遠路遥々と訪れてくれた労を労って、伊豆の生活や気候や地理の事を聞いた。

1時間ほどの談笑が終ってから、直弘、沙織、彩華の3人でドライブに行く事にした。沙織も彩華も本日、夕刻に伊豆に帰路につくから、少し都会を観光したいとの事であった。鎌倉街道を通って、北鎌倉駅を通り過ぎ、鎌倉駅の側に来ると駐車場を探した。
車を停めて鎌倉駅周りを散策していると、小道がありその両側に日本風の建物の御土産屋が建ち並んでいて、3人で珍しい外国人受けしそうな御土産を見て、気に入った物は安い価格で購入していた。
遅い昼食は15時くらいになった。木造の格式ある建物の、屋号を木の看板で出している店が良いと3人の意見が一致し、店の中に入ると2階に通された。テーブル席だが、全て木目の見える光沢のある机と椅子が整然と並んでいて、他のお客さんが数人いた。
3人は、麺を食べる事にして、デザートは鎌倉名物の「くずきり」にした。沙織も彩華もとても美味しいと言って食べていた。
店を出ると秋のせいか、既に外は薄暗く成っていた。車に乗り、沙織の運転で由比ヶ浜まで出て西に曲がると、扇型をした大きな浜が見えた。直弘にとっては当たり前の風景でも、2人の若い女性にとっては違う。歓声を上げてはしゃいだ。
海岸線の道路をそのまま進むと、波の緩やかな綺麗なブレイクをした浜が続いた。彩華は、身を乗り出してその波を見続けて、時折いるサーファーがテイクオフをして波に乗ると、大声を上げて感動している様であった。
車は腰越海岸を過ぎ江ノ島を通り越し、鵠沼に到着した。鵠沼の立体駐車場に入り、3人で急いで車を降りて、コンクリートの階段を登り丘に出た。
風は微風である。砂避けの竹柵を越えていくと、丁度、夕陽で夕映えの橙色に染まった空と暗い地平線を目の当たりにして、直弘も沙織も彩華もその幻想的な光景に魅せられた。真南を向いた太平洋側の相模湾である。太陽は右手の遠い山々に隠れ様としている。
広い段差の階段状のコンクリートに3人で座り、その光景を眺めながら談笑した。そんな時、彩華がポツリと呟いた。
「 私、ここに引っ越してこようかな 」
直弘も沙織も驚かない。
「 高校を卒業して、やりたい事決まって無かったけど、湘南地方に憧れていたんだ 」
彩華が続けた。直弘は黙っていた。彩華の本心が判らなかったからだ。
「 今のコンビニのバイト辞めるの? 」
沙織が彩華に尋ねた。
「 その積もり。ここなら、直弘君が近くに居るから楽しいし 」
少しの間を置いてから、沙織が少し語気を強めて、
「 勝手だね、彩華 」
と、彩華の顔を見ずに言った。
暫くの沈黙の後で、3人は立ち上がり、車に戻って行った。直弘は未だ、浪人生の身で、これからどんな結末になるかも、何処に行くかも判らない。彩華が湘南に来てくれると確かに楽しいが、それは来年の春に良い結末が待っている時だ。勿論、不幸な運命が待ち受けていたら、彩華にも沙織にも申し訳が無い。あわせる顔も無い、無残な結末である。
直弘も男だから、自信はある。しかし、もし彩華に慕われていて、彩華が親元を離れて湘南に引っ越してくると本気で考えているのなら、直弘にも相当な責任がある。
3人は車に乗り国道に出て、そのまま会話も少なく真直ぐの夜道の中を走り続けた。そして、平塚駅で、直弘を沙織が車から降ろしてくれた。駅前の繁華街の中、駅に向って歩いて行く直弘に、沙織と彩華は、何時までも手を振り続けた。

第3章 難問 

 人間の頭の良さ、脳の構造とは何なのでしょうか?
 人間が生きていく上で、先ずは赤ん坊から始まり、脳に全く情報を溜めていない状態で生まれてきます。やがて、家庭や幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と、それぞれ関門が設けられ、自分自身の人生が取捨択一されていきます。
 それぞれの関門では試験が行われ、よりその1回の試験で高得点を収めた者が、合格という成果を勝ち得ます。数点差で届かなかった者が、別の道を歩む事に成ります。
 その1点、2点の範囲に多くの者が分布し、喜哀を味わいます。

 果たして1回の試練で、その人という者が理解出来るものでしょうか? 体調もあれば、問題の得意・不得意もあれば、条件も様々に変わってきます。
 元々、大学の進学は将来の夢を叶える為のものです。それで、理系では医師に成りたい、文型では弁護士に成りたいみたいな決め事が有ります。これは、高給取りに成るという目的でのみ目指す方々が多くいる現状です。最終目的は、お金の蓄積と世間体とか他人に対して優越感を持ちたいとの考えではないでしょうか。

しかし、将来の目標としては、余りにありふれた物であると思います。私は成功者とは言いづらいですが、科学者を目指したり、経営者を目指している方の方がもっと成功している例が沢山あります。
 医師に成れないから、弁護士に成れないで、他の道を選んだ人が成功を沢山収めている例が見当たります。人生の成功というものが、どれだけお金を沢山稼いだという結論であるならば。
 人生は山あり、谷ありです。企業も30年間続いたら御の字の時代です。栄枯盛衰で、古いものは淘汰されていきます。時代に乗れなかった企業や不正を働いた企業は、何時か信頼を損ない、世間からそっぽを向かれて行きます。

 どんな企業でも、その看板や企業名での信頼が、業績に大きく関わってきます。その評判を良くするものが、製品の品質、値段、形状、使い易さ等です。
 これらを厳選に消費者は審査した上で、製品を購入していきます。
 もし、不良品を市場に出してお客様が購入して各家庭にて製品が壊れて、評判を逸したら、企業は傾きます。これは病院にも言える事です。
 現実的に、長年掛けて信頼を得ている企業の製品は、やはり値段設定や品質や形状や使い勝手にもよりますが、飛ぶ様に売れます。信頼感が有るからです。しかし、一回の顧客への裏切り行為で、企業に批判や不満が集まり、売り上げや企業存続に大打撃を与える事も有ります。

 一方で、消費者は珍しい物も好みます。新しいツールです。それが消費者の使い勝手に合えば、飛ぶ様に売れていき絶頂を極めますが、新製品開発を怠れば、やがてまた他の企業が開発した珍しい製品によって取って変わられ淘汰されていきます。
 携帯電話について考えると、昔から金持ちの携帯品でしたが、1990年代くらいから爆発的に発展していき、市場に出回り始めました。それが、何度も形状、機能、販売会社、メーカーを変えながら今日に至っています。
 携帯電話の使われ方も多様化しています。通信だけでは無く、商品の購入支払い、ゲーム機器、写真・動画撮影等です。
これらは、携帯電話の付加価値を大きく上げましたが、価格の暴騰、犯罪への悪用、SNS等の若年層への弊害も引き起こしています。

 人間の脳の働きは、発展、進化を遂げています。開発する企業側、使用する消費者側の両面において。
 これは、低学年からの高等教育によるものですが、一方で格差も大きくしています。新しい潮流に乗れない人を差別する傾向が現れました。失業者は溢れているのに、技術的、年齢的に差別され、雇用が非正規だとか、短期契約の社員に成っています。これは世界中で起こっている現象です。

他方で、諸外国を見ていると、高度経済成長期に入っている国々も見受けられます。それらの国々は、元は発展途上国であり、注目されていなかったのが、外国からの技術導入により、内需拡大、人口増加により、好景気を迎えています。
所謂、物価が安く、高給を貰って、ゆとりのある生活を送っているのです。
これらの国々では、低価格、高性能の物が高く売られていて、所謂、ジェネリックの様な技術を有しています。先行開発品は少なくても、国が好景気に乗っているので、生活に事欠かない。
外国企業を受け入れ、そこで働いている従業員が会社を立ち上げ、またジェネリック製造企業を興していく。元々、農業国などが多い事より、工業と農業のバランスが取れていて、昔の我が国の様な好景気を迎えている。

 そこで、人口の増加が起こり、若い労働層という財産を抱えている。彼等が、年老いた自国民を支えていく仕組みが、自然と出来ている。
 故に、国を挙げて産業が活発である。1人の親に対して、子供が沢山いるという構造で、高等教育を施さなくても、その国の企業にすんなりと就職が決まるのだ。企業は人を欲していて、幾らでも自国民を雇い入れる。

先進国はどうだろう。
 派遣社員が定着化していて、仕事にやる気がでない若者で溢れかえっている。どうせ正規社員に成れないのなら、「 適当に仕事をこなそう 」といったやる気の無さだ。
 我が国に至っては、求人倍率があっても、その求人に行政が失業している人を上手く当て込もうとしない。数年後の成長を見越していない。
 もっぱら、求人倍率が高いのは医療現場である。それ程に、我が国の人は身体的・精神的に病んでいるのである。

 経済においては、国が借金を多く抱え過ぎている。これを返済していくには、公務員や公共事業に緊縮財政を敷く必要がある。国家予算の10倍の借金を抱えていて、その国家予算の1割を返済に回しても、利子を無視すれば完済に100年間掛かる計算だ。
 これが国民の生活に間接的に関わってくる。国が抱えた借金は、国民が返済して行かなければならないからだ。所得税、消費税でそれを賄おうとするから、また公共料金値上げ、保険・国民年金の増額でそれを賄おうとしている。
 そして、年老いて国から年金を貰う時に成ったら、それが小額の支給となる。

 これは、我が国の政治が悪いのでは無く、日本人の根底にある人の良さに関係している。とにかく、日本人は人柄が良く、外国人に対して、何でも奉仕をする体質にある。
 これは良い事だが、やはり人が良すぎるのも考え物だ。諸外国に寄付をして人道支援をする事はいいが、それは他の先進国と足並みを揃えて行う必要がある。
 そうしないと、支出が大幅に上回り、国民一人ひとりが一生懸命に働いて国に差し出した税金が、自国に反映されないからだ。
 日本人は善い人だなと世界中で思われたい事は、私も同じである。だから、より効果的な人道的支援を行って行くべきである。

第4章「 想い 」

 湘南寄りの横浜市栄区は、藤沢市、鎌倉市に接している神奈川県横浜市の区である。
 ターミナル連結駅の大船駅に近く、繁華街の横浜駅、都心の東京都に電車で出るにも適していて、一方で湘南地方を東西に通る東海道本線にも連結が良く、伊豆の先端の方にある下田にも乗り継いで行く事が出来る。

 10月の末日にも成ると、湘南地方の海岸線には、夏の海水浴場での海水浴客で賑わった事が嘘の様に、人の姿はそれ程多くは見当たらない。海が程近い事もあり、寧ろ風が強く体感温度は低く感じられる。

 1週間前に沙織と彩華と平塚駅で別れてから、次の日に彩華からメールが入っていた。
「10月29日の土曜日の午前10時に、大船駅で待ち合わせをしたいです。湘南地方に引っ越して1人暮らしをする事にしました。部屋を探すのに付き合って下さい」
 直弘は了解した旨のメールを返していた。車は直弘が出す事に成った。

 当日、大船駅の指定した場所で10時に向けて30分前から直弘が待っていると、彩華が手さげバックを持って現れた。彩華は薄化粧で相変わらず、Tシャツにロングの花柄スカートを履いていた。足元は厚底のサンダルである。
 御互いにハニカミながら挨拶を済ますと、2人で車に乗り込み、
「どの辺に部屋を借りる積もり」
と、直弘が彩華に訪ねた。
 彩華は海の近くが良いと答えたが、海の傍は物価が高いし、建物の部屋が余って無い事、それに彩華の身の安全を考えて、大船駅か北鎌倉駅か藤沢駅周辺を直弘は勧めた。
 サーファーは元来、若い女の子に手が早く、彩華にもしもの事があったら彩華のご両親に申し訳が無いし、この3駅周辺なら何時でも彩華の助けを出来ると考えたからだ。
 また、余りに彩華の部屋が直弘の家に近いのも、沙織が嫌がると感じた。

 駅から程離れた物件の案内店舗に車で行くと、店舗の係の女性が応対してくれた。その女性は手際良く、彩華の注文を聞いてくれ、幾つかの安いワンルームマンションやアパートメントを紹介してくれた。
 どれも4万円前後の家賃で、1つだけ3万円代のワンルームマンションがあった。大船駅から徒歩20分くらいの物件だった。マンションは写真で見る限り白い塗装で、清潔感があり、女性専用のマンションとの事だった。
 彩華は、大層その立地条件と外観と値段が気に入ったみたいで、今すぐに観たいと店員の女性に申し出た。そうこうして、女性店員と彩華と直弘の3人で、賃貸物件紹介の会社の軽自動車で見学に行く事に成った。

 車で15分掛かり、賃貸マンションに着いた。白いビルディングが見えて来ると、彩華は、
「あれかな。結構綺麗な建物だよね」
と、言って喜んでいた。
直弘は、両親との引越しで何度か経験がある気持ちであるが、彩華にとっては伊豆の片田舎からの都会への初めての引越しである。新しい土地、風習、環境、仕事探し、親元を離れての生活、金銭的問題で、期待と不安を抱えているに違いない。

 マンションの駐車場に軽自動車が到着すると、店員の女性が、
「本日だけですよ。男性の付き添いの方がこのマンションに入る事が出来るのは」
と、ハッキリとした口調で念を押した。
 空き部屋は3階のかど部屋であった。このマンション自体は7階建てである。部屋のドアを開けると、南向きのカーテンの無いベランダに続くウインドウからの日差しが差し込んでいて、部屋の薄茶色の木目のタイルで反射し、白い壁紙と相乗効果で、部屋中を明るく照らしていた。
 部屋は6畳程で、ユニットバスであった。

 彩華は即決した。今現在、仕事をしている伊豆のコンビニの伝で、系列店舗が大船駅傍にあり、そこでアルバイトをしながら、就職先を探す積もりであった。
「この部屋に決めます。明日、両親と一緒に来て、この部屋を借りる事にします」
彩華は女性店員にそう言うと、直弘も安心した。

 日は暮れかけていて、夕陽が同じ様に西の山脈に沈もうとしかけていた。先週と同じ様に、空は橙色に染まっている。2人は、鵠沼海岸の踊り場の広い段差のあるコンクリート階段に腰掛けていた。
 強風は西方向から東に吹いていって、江ノ島の木々を揺らしていた。海岸には砂が強風で巻き上げられて、人影が無い。西寄りの風によって、海面が白波立ち、サーファーの姿は1人も見当たらなかった。

 彩華は、強風の中、砂が目に入らない様に、うつむき加減で寒さに耐えていた。直弘はそんな彩華の風上に座っている。
「今日は、有難う御座います。良い部屋が見付かって良かったです」
直弘は思案していた。冬が近い湘南地方の海岸線の気候の激しさを改めて知った。こんな環境に飛び込んで来る彩華に悪い気がした。これから自分には厳しい季節が待っている。それにサーフィンに人生を賭けている彩華にとっても、親元を離れたこんな寒い湘南地方で冬のサーフィンを続けていき、過酷なアルバイトないし、就職探しで純粋な心を失って欲しく無かった。

明らかに、彩華の言葉には、期待していた中にも、不安を乗せていた。
「彩華さんは、実家を本当に離れて、こんな所に来ていいの?」
直弘は、心配して尋ねた。
「うん。決心は決まっているから」
彩華は即答した。直弘は、人生の厳しさを少しは経験している。そこまでして決心が揺らがない理由は何かと考えあぐねていた。
「ここに来たら、毎日、御互いに会えるかもしれないし、直弘君を応援出来るかもしれないし」
 胸に、ドキリときた。彩華は自分の為に湘南地方に引っ越して来るのでは無く、直弘の為だと言っているのだ。

 直弘には、それにより責任が生じた。ここまで、自分の事を想ってくれた人は今まで居なかったし、自分もそんな善意を受けた事は無かったからだ。
「じゃあ、何か大変な事があったら、俺の家を頼って欲しい。彩華さんの親御さんにもそう言っておいて」
直弘がそう言うと、彩華は嬉しそうに頷いた。強風の中で。

 2人は駐車場に戻ると、直弘の運転で、JR小田原駅まで車を走らせ、そこで彩華を降ろした。直弘は嬉しそうな彩華が駅の改札口に入って行くまで、車から降りて見送っていた。

第5章「 揺心 」

 光の反義語が闇と現在は言われている。
 この理由は、光が届かない所は常に闇だからであると、現在の人類は想像している。しかし、光というものが1度何かの要因で発生すると、それが輝きを失う瞬間が存在している。
 光は発生もするし、消滅もする。それが、現在の人類の解明出来ていないことである。

 只、恒星からの光や蛍光灯の光が、家や机等の障害物に当たり、そこに陰が出来る事とは意味合いが異なる。その陰が暗く可視では無くとも闇とは異なると言う事だ。
 宇宙空間で言うと、地球上から見上げた星々の間は暗く闇に思えるかもしれない。だが、実際にその星々の間の暗がりの部分も黒色の可視部分である。
 生物で言うと、闇とは目で見ることが出来ないというものでは無く、目を持たないという意味に近い。詰まり、光の中に生きている生物と闇の中に生きている生物は、共存している。光を感じる事が出来るか、感じる事が出来ないか。若しくは、闇を感じる事が出来るか、出来ないか。

 人間は光を頼りに生きている生物である。だからこそ、闇を忌み嫌う。だが、闇に生きている生物もまた、光を苦手としている。
 例えば、地中に生息しているミミズである。目を持たないミミズは、日中どころか一日中、地面の中で生息している。雨が降ると、ミミズは地中から出てきて、雨が上がり天気が良くなり空気がカラッとすると、行き場を失い干乾びて地面で死ぬ。
 目を持たないが故に、再び地中の奥深くに戻る事が出来ないのである。微生物にしても同じである。太陽光で殺菌出来るものも多い。
 湿気を好む生物も居れば、乾燥を好む生物も居る。それらは常に、対比の世界で生活している。しかし、そのどちらも善でも悪でも無く、ミミズは魚の餌に成るし、魚は人類のタンパク源にもなる。
 短縮して考えると、ミミズが蓄えたたんぱく質を人間が摂って居る事と同じ事である。

 人類の好きな牛や豚についても同じである。腐葉土や糞で育った穀物をそれらに与え、牛や豚を肥え太らせて、最期は人間が食する。
 最近では餌も研究が進み、何十種類もの穀物や栄養分を混ぜて、より美味しい餌を与えた牛や豚程、美味しい肉として高価に取引されている。
 人間についても、一生涯の中でそれが言える。まずは、目を持たない卵子、精子から始まり、この時に生命エネルギーとして膨大な無限の可能性を秘めている。それが母体で形を創られていき、幼い赤ん坊として産まれる。
 成長と共に、その魂のエネルギーを増していき、10代、20代の年齢では熱を膨大に放つ様になる。年齢と共にそれが衰えて行き、知識や技術として、また次の世代への進化への伝達役と成っていく。
 最期には、死という形で光を失う。
 ここで、永遠の光が待っているか、永遠の闇が待っているかに振り分けられる。『 神 』によって。これが、人間の宗教学的考えの、天界か奈落なのではないか。

 話は、直弘と沙織と彩華の話しに戻る。
 彩華の藤沢市の大船駅近くのワンルームマンションへの引っ越しが済んだ。引っ越しは、極簡単に行われた。金額を掛けなかった。
 彩華の引っ越しは、彩華の両親と彩華で行われ、直弘も沙織も手伝わなかった。直弘は先に物件紹介の女性店員から言われていた事を守って。沙織は、彩華の引っ越しを快く思って居なかったからである。

 秋の深まって来ている季節である。空気は澄んでいて、比較的に乾燥している。彩華の引っ越しが終ってから2日後の平日の朝に、彩華から一緒にサーフィンに行く誘いの電話が入った。
 直弘は天気も良い事もあり、勉強の合間の気分転換でそれを了承した。1日くらい、勉強の合間の気晴らしに成るからと思ったからだ。
 沙織に電話を入れて、彩華と大磯海岸にサーフィンをしに行く事を伝えた。沙織は、
「彩華は直弘君に迷惑掛けっぱなしだね。サーフィンは止めて置いた方が良いよ、大事な時期だから」
と、忠告してくれた。それと、直弘の将来の事を大層気に掛けて居る様であった。大学生の沙織からしたら、11月に入った大事な時期に、サーフィンなどもっての他なのだろう。電話口で、沙織らしくもなく、気落ちしているのか、時々、泣いている様な鼻水をすする音が聞こえた。それを聞いて、直弘は沙織の想いと意図を知り、心を痛めた。

 直弘の勉強への、沙織の応援の仕方と彩華の応援の仕方がそれぞれ異なる。沙織は直弘の身を案じて、そっとして陰ながら支えてくれている。
 彩華は、直弘の心の重荷を取り払おうとしてくれている。どちらにしても、直弘には掛け替えの無い女友人であり、好きな女性なのだ。

 11月の第1週目の気候である。湘南地方は天気が良く高気圧に覆われていて、晴天であった。朝7時に、直弘が車を彩華のマンションの近くに停めると、彩華はカラフルなニットケースのボード入れを抱えて、まるで真夏の服装の様に、半ズボンの上がTシャツでそれにパーカーを羽織っている格好で指定の場所に1人で立っていた。
車がセダンなので、彩華を運転席の真後ろの席に乗せて、助手席は倒してそこに後部座席まで使って2本のボードを置いた。着替えはトランクの中である。

 直弘の運転する車は、国道を通って藤沢駅の西側を通り、辻堂の海岸線まで出た。ここを西に曲がり、海沿いを走って行くと、西湘バイパスに乗る手前の砂浜が、夏は海水浴客で賑わう大磯の浜である。
 今は秋なので、サーファーも少なく、恋人達の散歩コースと成っている。渋滞を抜け午前10時くらいに大磯港の駐車場に着くと、暗い高架橋の下の広い駐車場で車も疎らだった。
 車が駐車場に着くと、彩華は期待感に心臓を高鳴らせて、直ぐに着替えを始めた。彩華はウエットスーツのフルスーツに着替え終えて、ロングスプリングのウエットスーツに着替え終えた直弘を今か今かと待っていた。

 2人で談笑しながら歩道を5分程歩いて、砂浜の見える所まできた。波は1メートルくらい(腹~胸)の大きさだった。ビーチサンダルで小走りに波打ち際に近付いて行くと、海岸線全体で良いブレークをした波が見えた。2人は気分が高揚し、待ち切れないと準備体操をして、人の居ない砂浜から海に飛び込んだ。
 直弘は、11月の海水の冷たさの洗礼を受けた。冷水で、ドルフィンスルーをすると頭に軽い頭痛が響いた。また、手足には、冷水による鳥肌が立ち、ウエットスーツの裾の間から海水が浸入してきて、一気に身体を冷やして行った。

 波打ち際から30メートルくらいの所で、彩華と直弘が並んで波待ちを始めた。セットで良い波が来るたびに、彩華がその波を捕まえ、華麗な技を披露しながらロングライドを繰り返した。
 直弘は時折来る、その日、1番大きな波だけに集中して、確実にテイクオフを決めて、それでも海外のプロサーファーを手本とした波のラインを心掛けて乗っていた。
 周りは2人しか居なく、2人だけの世界だった。御互いに、声を掛け合って、沖で並んで波待ちをしている時には、色々な話をした。

 サーフィンを終え、帰り際には、藤沢の珈琲店に寄って、直弘は珈琲を、彩華はパフェを食べていた。
「明日から、新しいコンビニで仕事が始まるんだ。今日はサーフィンに付き合ってくれて有難う」
 彩華が徐に、直弘に頭を下げた。彩華も不安だった。新しい土地での、アルバイト、生活、就職先探し。直弘も、
「俺も明日から猛勉強だよ」
と答えた。2人は御互いに不安を抱えつつも、笑顔で向き合った。直弘の顔は日焼け止めの白い粉と、塩まみれだった。
「彩華さんが、1人でサーフィンに行きたく成ったら、うちの車使いなよ。両親に言っておくから」
 直弘がそう言うと、彩華は「ありがとう」と言って目尻を下げて喜んだ。日も暮れた夕方に、彩華のマンション近くで彩華を降ろして、直弘は自宅に帰って行った。

 家に着いた直弘を待っていたのは、親の説教であった。

第6章「 起源 」

 この無限の大宇宙∞で、初めて誕生した生命は何だったのかと考える事がある。そして、その生命は如何にして、『 魂 』若しくは『 命 』を得る事ができたのか。

 『 時間 』という概念が、過去にも未来にも無限であると考えた時。
『 物質 』と『 空間 』という概念に想像を広げてみることにする。『 空間 』は先ず、綺麗に立方体の様に存在している訳では無い。何故なら、空間に果てが無いと考えた時には、空間に歪みや断層が存在していても、また別の空間に転移されるからである。
『 氷 』を考えてみると、これは物質と空間の産物と考えられる。氷にヒビ(断層)が走っていて、そこに光を通してやると、光はきちんとその断層を通過して、違う塊の方に移動していく。
『 空間 』が有限と考えると、『 氷 』の外壁の中側で光は絶えず反射し、内部を反射し続けて、内部に光源があるならば光は飽和状態に成る事になる。
一般的に、恒星から出る光は大宇宙∞が広がる速さより遅いと予想されるので、大宇宙∞が空間的に無限であるとは断定出来ない。しかし、私は『 空間 』も無限と考えている。大宇宙∞の外に存在している大海原が空間だとしたら、空間という波の2番目以降の波という事になる。

 『 物質 』については、如何に発生したのか。何も無い状態から発生する物質がこの世に存在しているか? 
人間が考える物質の製造工程は、必ず原材料が必要である。
 しかし、物質とエネルギーが同等と考える学者も存在している。何かの合成や融合などによって、質量がエネルギーに変換されるというものである。その逆も考えられている。
 地球上では、絶えず光が太陽から降り注いでいる。地球の引力で捕まえきれない物質は、絶えず地球から遠く離れて行っている。光や素粒子などが恐らくそうであろう。
 人間が食物を100グラム食べて、水を100グラム飲んで運動をした時は簡単だ。炭水化物と酸素と酵素による反応によって、二酸化炭素とその他の身体を構成する血肉となり、熱量も発生させる。汗もかく。必ず、原材料が必要となっている。

 水を完全密閉して、熱を加えて殺菌してみる。これを宇宙空間に解き放ち、例えばその黄金のひしゃげない容器の中に生命が発生するかを実験してみたい。
 恐らく、空気と水と0.00000001%の菌の死骸を原材料に生命が発生するはずだ。
『 神 』が、その条件を見逃すはずが無い。これは『 神 』に挑むのでは無く、『 神 』に教えを請う方法だ。要するに、無重力である宇宙空間で、腐食されない黄金の容器の中の殺菌された水が腐るかどうかが問われるのである。
宇宙空間では、恐らく低温の為に水は一瞬にして氷と成る。その後に、密閉された黄金容器の中の状態変化を見る。『 神 』は恐らく、その氷に生命を与えて来る事だろう。

 『 物質 』の始まりに話しを戻すと、物質は常に細分化しようともするし、引力により塊にも成ろうとする。
 現在の我々の住む宇宙は広がり細分化していっていると言われている。しかし、一方で、局所的には銀河の様な大きな物質の集合体が、ガスから創られたと唱える者もいる。
 ガスとはいい加減な表現だが、この宇宙誕生の際のビッグバンでは、水素が主流と言われていた。
 だが、1点爆発から始まった宇宙が、140億年辺りの歴史で、これほどの広がりを見せる事は出来ない。発見されていない素粒子を抜かして、光が最速と考えても、この宇宙の直径が280億光年となることになる。
 光より速い素粒子は五万と存在していると思われるが、この宇宙で光が届いているのは280億光年という球形の直径を有しているはずである。歪な形で無ければ。

 『 物質 』の無限を表現する事が1番難しい事が、この事からも理解出来る。何故なら、この無限の『 空間 』の中に、『 物質 』が無限に敷き詰められていないと、無限とは言えないからだ。

 だからこそ、『 神 』は全ての意味で無限の存在であり、人間の脳では理解不能になっている。『 神 』の全貌を知る者は、恐らく『 神 』=『 大宇宙∞ 』以外に存在していない。隠れた部分を必ず創っているのである、『 大宇宙∞ 』のそこかしこに。

第7章「 体裁 」

 人は何故か、「体裁」を整えようとする生物である。
 体裁とプライドは異なる。人生を通して順風満帆な生活をして生きている人なんて、皆無なはずだ。もし、そんな人間が居たとしたら、それは悪事の上に成り立っているに違いない。
 現在の世の中は、平和主義的思想が各国で定着し始めたところである。そんな平和に見える日本国でも、人生とか生活の格差は存在する。
 一部の、公務員か一流企業に勤めている者のみが収入がよく、その他の者は生活に困窮している。生活が安定しているかに思える人達も借金を抱えていて、実際は潜在的に裕福では無い。老後の少ない年金の補填をする貯蓄を行っているに過ぎない。
 それは、他人を騙したり、より甘い汁を吸ったり、犯罪をしたり、そう言った悪い道徳に反する行いをしている者がいるからだと思われる。

 金持ちが必ずしも人生を楽に生きている訳では無い。会社が倒産する事も有れば、結婚で悩む者、病気で悩む者、家族関係で悩む者がいる。1度失敗を犯した者は強い。人生で致命的に成らない失敗程、価値のある物は無い。一方で、大きな失敗をした者は弱い。やり直しをするにも人生とは時間が無い。
 賢明な人間は教訓を得るからだ。同じ様に、だれか知り合いの失敗を目のあたりにした賢明な者もいる。そこで、人生は学びの場であり、欲に流されないと、最後に安定した生活が訪れる。

 人間、生きる上ではどんなに賢明に生きていても、親の庇護を受けていても、世間の荒波に漕ぎ出して行く時には、必ず、その純情さ、人の良さを狙いカモにしようとする悪者が現れてくる。そんな時、踏みとどまれるか、それとも悪行を働くかで、人間はどん底を味わう事もある。

 話は体裁に戻り、体裁とは自分を良く見せる手段である。この行為は詐欺に当たるし、その人が体裁を整えるのに、どれだけの人間から金品なり、搾取してきたかを本人が自覚しているかどうかだ。
 体裁を整える者は、先ず自分の良い所を徹底的に相手に見せ信用させる。そこで相手が女性なら口説きに掛かる。権力や、社会的地位や、お金を使って。
 相手が男性なら信用を得ようとして、犯罪紛いの事でも共犯者となる。

 昔から日本に存在する諺。「 能ある鷹は爪を隠す 」とある。この諺は、体裁を保たない人間に対する言葉としては不適合だが、本当に才能溢れる人は、引き出しを多く持っていて、どんな状況でも対応してくるし、失敗から自力で這い上がる。
 勉学にしろ、スポーツにしろ、芸術にしろ、趣味にしろ、理性にしても飛び抜けているのが聖人ではないかと考えられる。

 結局は、体裁を整えない人は自分自身を曝け出すから、本当の意味で個性的であり、光る所を持って居るのである。

 沙織と直弘は、1日に1回メールで連絡を取っていた。そのメールも、丁度、良い頃合に来たメールでは、数回のやり取りをして手紙での会話の様だった。
 そんな時、沙織はとても晴れやかなメール内容を送ってきていて、沙織の明るい笑顔が目の前に見えるようだ。
 直弘が沙織に、直弘の就寝前に文面の最後に「おやすみ」と文章を入れると、沙織は嬉しそうに「おやすみ」と絵文字を入れた返答を返してきた。沙織と直弘の共通項は、「理性」と「優しさ」と「思いやり」だった。

 彩華は直弘に、1日に何度もメールを送ってきた。それは、彩華が何か「感激」した時、「不安」な時、そして直弘に「好意」を伝える時であった。
 彩華と直弘の共通項は、「愛情深さ」「友情の厚さ」、そして「自然への畏敬」だった。

 しかし、結局、今の忙しさから、直弘は沙織に伊豆まで逢いに行く事が出来ず、彩華とばかり逢っていた。
 彩華に逢いに行くのは、簡単であった。直弘は夜には猛勉強をしなければ成らなかったので、朝に彩華から電話の1回が入ると、彩華のアルバイトが休みであり、何処か喫茶店か図書館で一緒に勉強しようというものであった。
 彩華はサーフィンを我慢してでも、直弘と会う方を優先させた。

 11月末日の或る日。午前中の勉強が一通り終わり自信が少しずつ付き出した直弘を、彩華が鎌倉駅に行こうと誘った。彩華が由比ヶ浜を見たいと言うのだった。直弘は快く快諾して、電車で鎌倉駅まで向った。
 鎌倉駅に着くと、2人は由比ヶ浜まで南に真っ直ぐの大通りを並んでゆっくりと歩いた。30分くらい歩くと、浜に出た。平日という事もあり、人は疎らな恋人達の語らいの場となっていた。日はまだ高く、輪郭の見えない黄白色の太陽が青空の右真ん中にあり、海面を鮮やかな青色と銀色のコントラストにしていて、地平線が小さな湾内から見えた。
 彩華ははしゃいで、波打ち際で静かな海を見詰ては振り返り、その仕草が直弘の心を擽った。
 砂浜に座り込んだ2人は、色々な話しをした。試験の事、進学の事、就職の事、将来の事。
 夜に成ると、直弘の両親も彩華の両親もデートをしていたら怒ると思い、帰路に着く事にした。そこで、記念に近くに居た恋人らしき男女に、直弘と彩華の2台の携帯電話で海を背に直弘と彩華の並んだ写真を撮って貰った。

 夜に成り、直弘が自宅の机で勉強していると、直弘の携帯に沙織からメールが入っていた。直弘が就寝に着く前に、今日の事は沙織に報告する積もりであった。
 メールを開いてみると、文脈から沙織の嫉妬と怒りを感じた。どうやら、彩華が沙織に本日、海で撮影して貰った写真データを自慢げに送信したらしい。
 直弘は、勉強の手を休め、携帯電話で沙織に電話を掛けた。3コール目くらいで沙織が電話に出た。何時もの思いやりのある沙織に戻っていた。
 直弘は謝ろうとしたが、沙織はそれを遮る様に話し続け、2時間くらいの電話で沙織に最後は勉強を勇気付けられて通話を切った。

 複雑な気持ちであった。翌日の早朝の5時まで勉強を続け、直弘は短い睡眠の床についた。

第8章「 逢瀬 」

 或る日、伊豆の沙織から携帯電話で連絡が入った。12月に入って、クリスマスも意識し始めた頃である。
 この年の冬は例年より寒く、12月に入った所で、既に初霜、初氷、初雪を関東でも観測していた。湘南地方も例外では無く、北風により波立たない日が続いていた。日照時間は短く、住民は上着に長いズボンを履いている服装が目に付いた。

 彩華から、サーフィンの誘いが何度も入っていたが、勉強を口実に断っていた。沙織の気持ちも考えての事だ。
 彩華の働いているコンビニには数回、買い物に行った事がある。その度に、彼女は大喜びして、10分間程、話し込んだ。他の店員の手前、余り長く話し込む事は許されないので、1人の客として直弘は振舞った。
 それを観て、他の男性店員は直弘を睨み付ける様な眼光を送っていた。どうやら、彩華はこの店の看板娘である様だ。1ヶ月以上の勤務を経て。

 彩華に逢う度に、何時も、
「サーフィンに行く時に、実家の車をお借りしてごめんね。就職したら、自分の車買うから、それまで待って」
と言われた。直弘は、
「こちらこそ、忙しくてなかなか会えなくてごめん。春に成ったら一緒にサーフィンに行こう」
と、何時も答えるしかなかった。

 沙織からの電話は、「大学の卒業も近いので来年の2月頃から東京、神奈川で就職活動をするので、その下見に東京、神奈川旅行をするから3日間観光がてら付き合って」というものであった。
 勿論、直弘は快諾した。沙織は、どうやら神奈川県近辺の会社への就職を希望している様であった。みなとみらい地区の一流ホテルで2泊するとの事である。
 「大きな建物が建ち並ぶ観光名所で、一流のキャリアウーマンとして働きたい。3人で仲良く生活をしたいね」
そう、沙織は電話で言っていた。

 当日。沙織が電車で大船駅に到着したのが午前11時。話しを聞きつけた彩華と、直弘の2人で駅の改札の外で待っていたら、沙織が少しフォーマルな格好で、中型のサイズの旅行バックを重そうに抱えて現れた。
 沙織が自動改札を出てくるなり、彩華と沙織は抱擁し合った。やはり幼馴染みで、仲が良いと直弘は感じた。しかし、彩華と抱き合っている沙織の視線の先には、直弘の姿があった。優しそうに微笑んでいた。
桜木町駅の傍にある沙織の泊まるホテルの近辺で食事を摂る事に決め、3人は電車に乗り込んだ。

 桜木町駅は、平日だというのに大変に混雑していた。何処かしこも人だらけであった。とりあえず、タワーのあるビルディングに長いエスカレータースロープで入って行った。
 勝手知った場所なので、直弘は女の子受けしそうなランチの出来る店を、隣接するビルディングのスクエアまで歩いて探した。沙織の泊まるホテルは、このスクエアにあるとの事であった。
 洋風の店構えの店が有ったので、そこに入店する事を3人で決めた。料理は、フレンチなのかイタリアンなのか判らないが、3人とも値段を気にせずに頼める店で、出された料理も美味であった。

 食事を終えたのが午後3時であった。彩華はそこで、夜のコンビニのアルバイトがあるからと、
「仕事に遅刻しちゃう」
と言いながら、急いで帰って行った。
 だから、沙織と直弘は拍子抜けして、広い公園をクリスマスの雰囲気の中、散歩した。荷物は直弘が担いでいた。
 日が暮れかかると、テーマパークの観覧車全体に付けられた虹色の蛍光色の電灯が灯され、いよいよ沙織と2人でクリスマス前にこんな場所にいる事で、直弘は心が躍って何か起きそうな予感に駆られた。

 日が完全に沈むと、辺りのビルディングの窓から漏れる光が、暗闇の中で煌びやかに輝き綺麗であった。ぼんやりとその景色を、沙織の横で公園のベンチに座り観ていた直弘を沙織が見詰ていて、それも直弘が意識していた。
 時間は19時くらいになった。直弘が、
「ホテルへのチェックインはしないの?」
と沙織に聞くと、沙織は意を決した様に手提げ鞄から小さなリボンの着いた箱を取り出した。
 「これ、直弘君の合格を祈願したプレゼント」
5センチくらいの立方体の箱であった。直弘は驚かず、只、呆然としていた。何故なら、直弘も普段逢うことの出来ない沙織に、クリスマスのプレゼントを用意していたからだ。

 直弘は沙織に、
「ありがとう」
と言って、赤い包装の小箱を上着の右側のポケットにしまい込んだ。代わりに、左側のポケットから青色の包装の5センチくらいの立方体の小箱を出して、沙織に差し出した。

 辺りは真っ暗だが、周りの夜景の光で沙織の顔色や表情は読み取れた。沙織は微笑んでそれを受け取った。直弘から沙織への贈り物の中身は、銀の十字架のネックレスであった。沙織は、
「ホテルに戻ってから開けるね」
と言って、喜んで涙を流していた。
 普段、逢えない沙織への、直弘の気持ちの不器用な愛情表現。それ以上は、直弘は踏み込まず、只、心が満たされていた。

 沙織がホテルにチェックインするというので、直弘は実家に帰る事にした。
 少し御互いに離れてから、手を振り合った。沙織が荷物を持ってスクエアの方に歩き出したので、その姿を少し見送って直弘も駅に向った。
 駅は、クリスマス前の恋人達で賑わっていて、そこかしこに電飾の飾りつけがあった。
 電車の中で、直弘は沙織からのプレゼントを落とさない様に、ポケットの中で握り締めていた。

 自宅に着いた直弘が、自分の部屋に戻って直ぐに包みを丁寧に開けると、沙織からの直弘へのプレゼントは、金色の十字架のネックレスとメッセージカードであった。
「近い将来、直弘君と一緒に生活できるといいね」
 直弘は、短いメッセージカードの言葉を何度も読み返していた。沙織の文章が曖昧で意図が読み取れなかった。
 しかし、その箱とメッセージは、直弘は自分の机の引き出しに大事にしまい込み、疲れた頭で勉強に打ち込み始めた。

第9章「 差別 」

 人間に限らず、動物、生物、植物、微生物に至るまで、差別が存在する。
 異種間の差別、同種族間での差別、人種による差別、宗教上の差別、異性間の差別、能力での差別、年齢での差別、身体的な事による差別、職業上の差別、病気での差別、他数え切れない程の差別が存在する。
 そんなものは、階層社会での産物である。

 例えば、会社で役員は、部下である社員の能力に関係なく、自分のお気に入りで仕事内容を査定する。そして、能力に劣る者が上に立ち、能力の優れた者が下に立つと、意見の対立や不満が起こり、会社の効率が落ち会社が傾く。
 中には、容姿や性別、上司への部下の奉仕次第で上に登り詰める者も居る。そういった企業に限って、知名度は上がらず常に発展をしない。
 優秀な者が上に立ち、部下の能力を最大限に引き出してこその企業の発展である。

 人種による差別は特に酷い。何故なら、姿形が違うから、よその国に行くと持て囃されるか、貶されるかである。
 持て囃された時には、性の関係で地域を荒し、最後には「うちの娘に何てことをしてくれたんだ」となる。娘を持つ親にとっては当然の反応であろう。親の気持ちなら、自分の娘には素敵な男性と幸せな結婚を望むからだ。
 貶された場合には、その貶された者は憎しみを抱え、その土地に残り犯罪紛いの事に走るか、帰国して貶した民族を差別する感情を抱き、運動を開始する。

 宗教上の差別は複雑だ。
 それぞれの神と崇める対象が異なるからである。それは人であり、太陽であり、山であり、海であり、土地であり、方角であったりする。
 それに聖地という問題も抱えている。これには余り触れたく無いが、要するに宗教上、最も重要な意味を持つ場所ということであろう。
 御互いにそこだけは譲れない土地。神と崇める人。神と崇める太陽。しかし、余りに、世界を知らなさ過ぎる様に思う。この無限の大宇宙∞で、そんな些細な土地に拘っていても、仕方ない様に思える。これ以上は触れない事にする。
 異性間の差別は、性が絡んでくる。男性、女性というだけの問題では無く、第3の性の問題もある。
 会社での出世の話しもあれば、夫婦間の話もあれば、男性からの暴力や性暴力、頭の思考の構造の違い、身体的特徴の違い、腕力の違い、体力の違いと言った事である。これらが、社会生活、会社生活、家庭生活に密接に絡んでくる。会社での出世も、日本では男女格差があるし、複雑な男女関係の図式も存在する。

 能力や身体的差別は、ある程度認められてきている問題だ。
 仕事は壁を乗り越える事の連続で、能力によってはその壁を乗り越えられない人も出てくる。大学卒、高卒、中卒ではかなりの開きがある。
 問題は身体的な差別だ。その主なものが身体の何処かに欠点がある場合である。例えば、顔そのものであったり、身体の一部の欠如であったり、機能障害であったりする。
 だが、結果を出せるか、出せないかでその人の評価は決まるべきである。

 年齢での差別である。
 これは、最近、スポーツの世界で、取り払われているが、やはり社会に出るにはある程度の教養を必要とするので、また社会に出てからもある程度の経験を必要とするので仕方が無い。
 また、青少年、少女を守る為にも、合法的な法令による保護も必要である。最近はSNSで大人と未成年男女が、未成年の両親に秘密裏に連絡を取り、性被害に遭う事も度々、報道されている。
 未成年は、早く大人の世界に憧れ、飛び込もうとするが、その必要は無いと思われる。成人をしたら、幾らでも経験の出来る事であり、先ずは安全に世の中を生きる為の知識を吸収すべきであると考えられる。
 個人個人で考え方が異なる事なので、無理強いをする積もりは無いが、心に傷やトラウマを残す問題も引き起こす。

 次に職業上の差別である。
 会社経営者、医師、弁護士、会社役員など、多大な権限を持って居る様で人気もあるが、リスクもある。
 会社は破綻する可能性もあるし、会社の役員は何か有った時に経営責任を取らされる事もある。医師は命をあずかる以上、失敗は許されないし、弁護士は人の人生を左右する。
 仕事と割り切って出来る人は、既に心が死んでいる。やはり情熱を持って仕事をしている人にとって、失敗による心身のダメージは大きい。
 一方で、サラリーマンは、会社が傾かない限り、また違法行為をしない限り、安心な職業である。そのサラリーマンの中でも、仕事内容により、御互いに偏見を抱えている。
 頭脳労働者は、肉体労働者を下に見ているし、給与の格差で馬鹿にしたりもする。だが、給与で仕事をする訳では無いので、実際に本当に仕事で結果を出している人が、高給を貰うべきである。それが、日本には余り無く、海外では見受けられる。

 病気での差別である。
 病気と言っても、治る病気では余り差別は起きない。不治の病での話しである。
 実際に、私も同じだが、不治の病を移されたくないという気持ちを世界中の皆が抱えていると思われる。
 性病であったり、癌であったり、感染症であったり、精神病であったり。
 性病や感染症は、きっかけがあるが、癌や精神病は原因が解明できていない。前者は、自分自身の自制の問題である。癌などは、食生活や睡眠やストレスに気を付ける問題である。精神病は、世界中の人間が性癖の一部として抱えている問題なのではないか。
 例えは、私は絶対的な『 神 』の存在を信じているが、これは当たり前だと考えている一方で、『 神 』の存在を否定する者もいる。『 神 』を信じる者は病気であると。しかし、どんな『 神 』の存在であろうと、それを信じる人をノイローゼ扱いしたら、宗教関係者全てがノイローゼとなり、世界中がノイローゼという結論に陥る。
 実際に、万物の創造者である『 神 』は存在しているが、それを否定してかかる人の頭の思考も、『 神 』によって誘導されているのである。
 だから、精神病患者と認定された人に対して、健常者ぶった人が差別的発言や態度を取るのは、馬鹿げている。健常者ぶった人達も変な性癖があるではないか。変態の域を大きく超えた。

 最後に異種族間の差別である。
 人間は、主に人間以外の動物、植物を差別する。同等と見ない。しかし、それらの動物も植物も生きている。
 仮に、スターシップに乗って高知能、高運動能力、高科学力の異星人が地球に来訪した時はどうする? かれらの方が高等生物であったら。
 人間は、彼等から下に見られる事になる。野蛮人扱いされて。勿論、科学力、知能、力の上の者が勝つから、地球は異星人の所有物となるだろう。そうなった時の人権とはなんだ?
 人権は、地球上で人間が一番高等な種族であると考えて、他の生物を支配した時に始めて発生する権利である。
 人権は、人間なら誰しも持って居るものだ。白人も、黒人も、黄色人種も。おかしいのは権力構造にあると考えられる。未だに、特権階級が存在している事がおかしい。貴族とは、人間より高等動物なのか? 只、血税から年金を貰っている働かない者の様に思えてならない。

 差別とは、いわば人が自分より下にいる人間が沢山居ると思う事で、心に安心感を持たせる下らない見栄なのではないだろうか。

第10章「 亀裂 」

 世の中には、強いものに立ち向かう者と、弱いものを虐待する者と、そのどちらにも無関心な者が居る。
 強いものに立ち向かう者は、時として自分の命を犠牲にしてでも意思を貫こうとする。弱いものを虐待する者は、心の何処かに問題を抱えているか、その者自体の心が幼い。無関心な者は、中立という立場で危険から身を回避している様に思えてならない。
 これは私見なので、様々な人種が地球上に存在しているので、一概に当てはまらない。だから、私の私見に腹を立てずに、冷静に読んで欲しいと思います。

 昔、TVで見た事ですが、犬は必ず自分より下に見る対象を作るという。雄犬は、縄張りを主張する。人間の社会と重ならずに、犬にも自分の領土が存在するのである。

 先の立場から、人間には軋轢や亀裂が生じる。人間は、より多数派工作を図る。これは、頭数が多い方が、何故か強く見える、世間体が良く見える、異性に対してアピールが良く見える、信頼性があるからである。
 子供達の虐めの大きな原因は、これにある。学年やクラスでグループが少しずつ大きく成っていき、少数のグループは何故か弱い者に属される。しかし、その弱いグループに強い人間が数人加わっただけで、子供社会は立場が逆転する事もある。

 政治の話しをする積もりは無い。本来、強いものは弱いものを守り、その意見も聞くと世の中が停滞せずに、上手く動き出す事がある。同じ志を皆が持つ事である。
 現代社会においては、同じ志とは『 平和 』『 平等 』『 生活苦の無い生活 』ではないだろうか。
 最近、話題に成っている貿易不均衡でも、貿易赤字超過の国はお金が自国から相手国に移るが、その分、製品や技術は自国に入ってくる。長い目で見ればだが。
 貿易黒字超過の国は、折角製造した価値ある製品が相手国に移り、相手国の外貨がもたらされる。

 最近は材料だけでなく、レアメタル、レアアースも製品にくっ付いて相手国に輸出する訳だから、将来的には工業製品の輸出は、自国の資源を輸出しているようなもので、その内に反転現象が起こるはずだ。資源は枯渇する訳だから。
 もっとも、日本国の様に、原材料を輸入して工業製品を作り、他国に輸出している国はその類では無い。であるから、輸入超過も、自国の再生産業に恩恵を与える事になる。
 結局、経済と云うものは複雑であるから、悪い時期が過ぎればまた好景気が来る。大量生産の技術を持って居る国では。後は、自動生産やAIが人間の仕事自体を奪い、生産技術者の仕事を無くした時に、どの様に自国民に仕事なり、給与なりを与えていくかであると思われる。
 やはり、仕事とは人生の生き甲斐であるから。

 沙織が神奈川県に訪ねて来てから、3日目と成った。2日目は、沙織はどんな会社が神奈川県にあるか、目ぼしい会社を見て回るので直弘に付き添いはいらなかった。彩華もアルバイトで忙しいとのこと。
 3日目に、3人で海を見て帰る事にした。
 直弘が車を出して、彩華と沙織を車に乗せ、桜木町から関内に出て、鎌倉街道を南下した。沙織は胸元が見えるインナーに上着を羽織っている。彩華は相変わらずのビーチスタイルだった。 「あと、3週間くらいでクリスマスだね」
 彩華は楽しそうに言った。内心で、直弘との2人だけのクリスマスを想像していた。

 車は、前回と同じ様に鎌倉街道をひた走り、鎌倉近辺を通って由比ヶ浜に出た。若い3人の事、相変わらず胸がワクワクする。
 しかし、本日は由比ヶ浜に出てから、車を東に向かわせた。逗子の海岸を沙織に見せてあげようとしたからである。
 逗子の浜は狭く、波も台風の時くらいしか立たないが、浜の真ん中辺りの道路の向こうに1階が駐車場で2階がレストランになっている、ファミレス(ファミリーレストラン)があった気がした。
 案の定、右手に海を見ながら、所々、岩場で遮られた海を求め道を走らせて、逗子の浜の内陸側道路を走っているとファミレスがあった。

 3人は見晴らしの良い席に通して貰った。午後の13時であった。食事の時は、3人和気藹々としていた。逗子の内湾の景色が美しいのと、晴天で風も無い天気である。
 食事を終えると、3人は車を駐車場に置いたまま浜に出ようと言い出した。
 実際に浜に出てみると、気温は10℃以上で日差しがポカポカしていた。沙織は上着を脱いで、インナーのみの格好に成っていた。胸には銀の十字架が掛けられているのを直弘は見て、少し嬉しい気分であった。

 3人で浜を歩いていると、ふと、彩華の目に沙織の銀の十字架が目にとまった。
「それ、横浜で買ったの? 綺麗な装飾のネックレスだね」
彩華は沙織の胸元を指差し尋ねた。
 沙織は、
「これ、直弘君が一昨日、プレゼントしてくれたの」
と、晴れやかな笑顔で答えた。一瞬、戦慄が直弘と彩華の間で走った。
 彩華は身体を震わせて憮然としている。直弘を睨みつけて。しかし、直弘は落ち着いていた。
「沙織さんには、この機会にしか会えないから先にプレゼントしたんだよ。彩華さんにもプレゼントを用意しているから」
 それでも彩華の怒りは収まらない。直弘に対しても、沙織に対しても。彩華は直弘とよく逢っているのに、どうみても沙織の方に気がある様に思えてならなかったから。

 彩華は、
「私、ここから自分1人で帰るね」
と言い、浜を背に道路の方に向って行ってしまった。直弘は動揺していた。しかし、佐織は落ち着いた態度で、
「彩華は1日経てば機嫌が戻るから大丈夫だよ」
と、直弘を落ち着かせた。直弘はそれを聞いても、彩華に後ろめたさを感じて、後を追いかけた。

 直弘が追いついた歩道を歩く彩華は下を見て泣いていた。直弘は、「ごめん」と繰り返し言葉に出した。
 直弘には彩華の気持ちが痛いほど判っている。伊豆から湘南地方まで、自分の生活を捨てて来てくれた子だ。気持ちに答えてあげたいのは山々だが、直弘もまた半人前なのだ。直ぐに、沙織にも彩華にも返事を出来る立場に無い。
 立ち止まって泣いている彩華の手をそっと直弘は自分の手を差し出して握った。
「車に戻ろう」
直弘がそういうと、彩華は小さく頷いた。車に戻ると、沙織が彩華の肩に手を乗せて慰めていた。

第11章「 聖夜 」

 物質は、絶えず安定をしようとする。
 エネルギー状態が高いものは低い位置に戻ろうとするし、エネルギー状態が低いものは高い位置に戻ろうとする。
 例えば、地上1メートルの所で人間の手に持たれている1kgの物体は、人間の手から離れると地面に落ち、土にめり込んで止まる。この物質は、更に地中深くに近付きたがっている状態である。万有引力の法則である。
 しかし、この物質が鉄で出来ていて、強力な磁気を持つ磁石を上から近付けてみると、1kgの鉄の塊は空気を介して磁気に引き寄せられ、ある距離に近付いた時点で瞬間的に磁石まで高速移動して重力を打ち破り、空中を飛び磁石に接着し安定する。地上1メートルの位置でも、地面に落ちることが無い。強力な磁気を持つ磁石と、万有引力の引っ張り合いで、磁気の方がより強い場合である。

 人間においても、感情的に、身体的に安定を好む。
 普通の人なら、怒っている人も何れ笑うし、泣いている人も何れ楽しい気分に成る。環境や状況が変わるからだ。
 身体的安定とは、経済的であったり、疲れを癒す事であったり、病気や怪我を治す事である。
 経済的に裕福な人は派手にお金を使い、他人から羨ましがられる。疲れた人は、ソファーや椅子で一休みしたり、睡眠を取る。病気や怪我から回復すると、気分的にも動作的にも健康体になり普通の日常生活を送れる様になる。

 動物や植物も同じなのだ。
 動物園で飼われている肉食獣、草食獣。自宅で飼われている犬。これらは、自然環境に近い状態で飼うと、最低限の人間への愛着を持つ。餌をくれたり、身の安全を保障してくれるから。
 犬にしても、野犬は人間に吠えかかってくるが、飼いならした犬は人間の為に働く。盲導犬であったり、狩猟犬であったり。

 太陽系も同じであり、銀河系も同じであり、大宇宙∞も同じであるはずだ。バランスが崩れない限り、安定した時期が存在する。
 人間の一生にも言える。安定期は若く血気盛んな時なのか、壮年で落ち着いた時なのか知らないが。
 これが平衡というものであるが、平衡に達しても、やがて全てのものは歳を重ねるからそれも崩れる。
 地球の一生で、平衡に達していた生物の住める時間が限られている事は、よく知られている。人類一丸と成って、その問題に取り組む知性を、人間は持ち合わせていると信じたい。

 クリスマスの12月25日の朝が来た。
 丁度、寒い冬なので、午後から雨が降り、夜半には雪に変わる可能性があるという天気予報だった。
 逗子の一件以来、彩華は毎日、直弘の家に短時間の訪問をしては、帰って行った。直弘の両親は、彩華を大変に気に入っていて、玄関で挨拶をする彩華と10分間は話し込んでいた。

 彩華から、直弘に毎日、
「クリスマスは2人で食事をしましょう」
と、電話なりメールなりが入っていた。直弘は当然、そうする積もりで考えがあった。沙織の手前、彩華との2人きりでのクリスマスは避けたい考えも持っていた。
 12月25日は、彩華と昼に大船駅で逢った。クリスマスプレゼントをねだる彩華に、直弘は直ぐに手渡した。5センチくらいの立方体の包装のされた小箱。沙織と甲乙を付ける積もりは無かったので、沙織へのプレゼントと同じ店で買った銀の十字架だった。しかし、沙織と彩華に渡した十字架の中央に施された小さな宝石の色が異なる。
 沙織には透明な青色の宝石、彩華には透明な赤色の宝石であった。

 彩華は丁寧に包みを取り箱を開けると、直ぐに直弘にそのネックレスを後ろから首に付けてくれる様に頼んだ。
 彩華の薄栗色の髪を結わったうなじの細い髪が綺麗であった。直弘は、なるべく彩華の首に触れない様に、ネックレスをしてあげた。
 彩華は振り返り、Tシャツの上に出した銀の十字架を指で持ち、直弘にお礼を言っていた。道行く人達が、2人の事を見ては、笑ったり、やっかんだりしていた。

 大船駅で、彩華とカフェを3時間くらいして、直弘は時計を見ると18時に成っていた。
それで、直弘は彩華に直弘の家に来るように勧めた。
彩華は、「いいの? いいの?」と驚いていた。
実は、弟は大学のサークルのクリスマスパーティーで今晩は実家に居ない。姉も彼氏とデートだった。実家には、今晩、両親しかいないのだ。

 直弘と彩華が電車に乗り隣の駅に降り立つと、暗い空から雪がぱらついて降ってきていた。駅から実家までの距離は、徒歩で25分くらいだ。2人は駅に向う人が多い中、逆向きに住宅街への坂道を登って行った。
 雪は大粒に成って来て、しんしんと真っ暗な空から真っ直ぐに落下してきている。そうこうして住宅街を抜けると、直弘の家に辿り着いた。
「どうぞ、あがって」
直弘が家の玄関を開けると、家の中は明かりに包まれていた。居間まで2人が廊下を歩いて行くと、料理の匂いが漂ってきた。

 居間の扉を開けると、直弘の両親が、
「彩華ちゃん、いらっしゃい」
と、声を揃えて言った。
 テーブルに並べられた料理を囲んで、直弘の両親と直弘と彩華で椅子に座り、料理を食べながらの談笑が続き、楽しいひと時であった。
 21時を回った頃、両親が彩華に、
「遅いから、もう帰りなさい。今日は楽しかったよ、彩華さん」
と言うと、彩華も、
「こちらこそ、楽しいクリスマスでした」
と返答した。

 玄関から、直弘と彩華が外にでると、雪が5センチメートルくらい積もっていた。
「車で送っていくよ」
直弘が彩華に言うと、彩華は尚、喜んだ。
 車の中では、彩華はしきりに直弘と直弘の両親にお礼を言っていた。
車が彩華の家の傍で停まると、彩華は徐に肩から提げた鞄から、小さな小袋を直弘に差し出した。彩華からの直弘へのクリスマスプレゼントであった。
「開けていい?」
直弘が聞くと、彩華は待ち切れないという様に頷いた。
 中身は珊瑚でできた腕飾りであった。直弘はその美しさに見とれて、自然と自分の右腕の手首に付けた。
「ありがとう」
直弘が言うと、彩華は、
「こちらこそ、今日は有難う」
と言い、名残惜しそうに車のドアを開けて、ボタ雪の中、運転席の直弘を見ながらマンションに向って行った。

 直弘は、頂いた珊瑚の腕飾りを見たら、直弘の名前が入った珊瑚が1つあった。どうやら手作りみたいである。直弘は彩華の優しさを、改めて胸に確認した。

第12章「 熱情 」

 12月25日の深夜23時から、沙織と直弘は電話をしていた。彩華を自宅マンションに送り届けてきてから、直ぐに直弘の方から電話した。
 クリスマスの夜の事を素直に沙織に話したら、沙織は理解を示してくれた。寧ろ、沙織は彩華と直弘が2人きりで聖夜を過ごす事を喜んでいたようだった。それは、沙織が彩華を思い遣る本心からである。
 素直に話す直弘に、沙織は「うん。うん」と電話口で返事をしていた。

 深夜零時を過ぎて朝6時の夜明け近くまで2人は電話し続けた。将来の夢、成りたい職業と理想像。
 そこで、沙織は「将来、結婚はする積もり?」と聞いてきた。二十歳前後の直弘にとっては当然の事のようであったが、
「勿論、結婚はしたいと思っている」
と答えた。
「誰と?」
沙織は続けざまに聞いてきた。
 直弘は戸惑った。同時に2人の女性の顔が頭に浮かんだのだ。沙織と彩華であった。だが、今の自分には答えられないと思い、押し黙った。

 沙織は心配そうに、意地悪をして続けざまに聞いてきた。
「じゃあ、私の事は好き?」
率直な質問だ。そんなことは当然だが、直弘の口から沙織は言葉で言わせたかった。
 直弘は、素直に答えようと思い、
「もちろん、大好きです」
と、きっぱりとした口調で答えていた。それを聞いて、沙織は、
「私も、直弘君の事だけが好きです」
と、感情を込めて電話口で言った。直弘は、緊張を続けた昨日からの徹夜した疲れた頭で、驚くべき言葉を耳にした。寒い部屋の中で、身体中が火照っているのが判った。
 こんなこと、人生20年間生きてきた中で経験をした事が無かった。沙織の真意を疑ったが、冗談を言う子では無い。

 沙織は、直弘の世間体を見ているのでは無く、将来性を見ているのでも無く、人間性を見ていた。
 一方で、直弘も沙織の細い身体からは想像も出来ない程の強い芯を持って居る事が判っている。ちょっとやそっとの事では信念を捻じ曲げる娘では無い。直弘も沙織のそんな貞節を持った意志の強い優しさに、心底惚れていた。
 自分が社会人であったなら、せめて大学生であったなら沙織の真っ直ぐな愛情を、そのままに受け止める事が出来るのに。そう常々、考えていた。

 彩華にしてもそうだ、彩華は、羽ばたこうと思ったら、大空に飛び立てる身だ。直弘の為を思って湘南地方まで、直弘を支える積もりで追い掛けてきてくれた娘である。
 来年の春に、どういう結果に成っているか判らない。人間は口ではどんな大きな夢も語れる。それが世間知らずであればあるほどに。
 只、勉強とスポーツに脇目もせずにこの歳まで打ち込んできて、直弘には他人とは違う信念を持って居た。
 勉強を怠って生きてきた者は、異性との遊びや悪事に走る時代に。同じく、これも偏見かも知れない。だが、直弘の根底にあるのはプライドだけでは無く、自然への畏敬の念でもある。

 直弘が勉強をすればする程、学問は解らなく成ってくる。教科書に書かれている事実や公式を暗記して試験に臨む。それが、正しいと思っていた。
 しかし、サーフィンで荒れた海に入ると、そんな公式など、何処にも無い。サーフィンの教科書を読んでも、そんなものは役に立たずに、実践あるのみだった。
身体に、自然界のリズムを慣れさせて行かなければ、海には海流もあれば、人食いザメもいて、生きて再び陸地に戻ってこられる保障は無い。
自然界は人間の知性の及ぶ所では無いのは確かであった。それを学んでしまってからの直弘の学問に対する考え方が180度変わってしまった。

 沙織との電話を終えてから、彩華にも電話する事に決めた。
 12月26日の早朝7時過ぎに成っていた。直弘は徹夜で、少し頭痛を感じていた。しかし、今直ぐに彩華に電話を掛けたい気分であった。
 携帯電話で彩華の番号をコールすると、1コール目で彩華が電話口に出た。
「直弘君、おはよう」
電話口の向こうで、彩華は嬉しそうに挨拶をした。直弘は、1分間くらいで、沙織との昨晩の長電話の事を話した。そして、彩華に好意を自分から伝えた。
 彩華は落ち着いていた。当然、知っていた結果である。だから、彩華も率直に直弘に好意を伝えた。
 やはり、直弘の身体が熱を帯びた。これが本当の愛情なのだと感じた。

 直弘は、「次は、正月の初詣で3人で会おう。それまで、勉強に集中するから」
と、彩華に告げた。
 彩華も相手の事を思いやり、「うん」と答えていた。それから御互いに、軽く言葉を交わして電話を終えた。

 直弘は少しの睡眠を取る為に床についた。
 彩華は、電話を切ると、慌ただしくアルバイトの準備をして、マンションの自室から出て行き、仕事に向かった。
 師走にしては、晴天の朝であった。

第13章「 世界 」

 『 世界 』という言葉を耳にして思いつくものがある。物質世界。精神世界。世界地図。世界一。動物の世界。植物の世界。
 これらを統括して感じ取れる世界と云う言葉のイメージは、地球上の出来事やモノに限定されていることである。限られた範囲の営みが行われている所が世界というイメージである。
 それは空間とかを表す言葉では無く、何かと何かの繋がりを表す言葉にも思える。だから、世界中という言葉を人間が使用する時、地球上での事を示すのが、人間が使用している言葉のイメージとしては正しい。

 詰まり、『 世界 』という広範囲の言葉を使用しているようで、実は限定された小さな世界を表現している事になる。星々の世界、人間の世界。動物の世界、昆虫達の世界、蟻の世界と云ったように。
 また、『 社会 』と云う言葉は、更に動物の営みという制限が加えられる。経済社会、人種社会、社会科と云った感じである。
 では、限度が無い無限の広がりを持った言葉を見付けてみると、人間の言葉には見当たらない。せいぜい『 宇宙 』くらいである。だが、これも人間は140億年の歴史を持つ『 世界 』という制限を付けたがる。

 『 ミスターユニバース 』『 ミスユニバース 』という言葉を使い、毎年、地球上で一番美しい人間を選び出す大会がある。勿論、そんな人達は美しいのは当たり前である。何せ、宇宙で一番、その年に美しい人を選ぶ大会であるから。
 それも立候補制で、審査員がいて、女性の大会では一部で批判も出ている事がある。この事を書く事で批判も覚悟の上です。
 『 宇宙 』で一番美しいでいいのですが、二十歳前後の女性で知的で、スタイルが良く、特技があるといった限定された大会で、芸術作品と違い、その瞬間の一瞬の美しさを争っている様に思えてならない。
 この話しに固執する積もりは毛頭無い。私自身がこの話しに興味がないからだ。私が地球上で最も美しいと思う異性は、好意を寄せている異性に他ならない。大会が何時行われていて、会場が何処かなんて、たまたま観たTVの時間で、チャンネルが合わないと一生知ることは無いだろう。
 私は未婚で気持ちは本当に理解出来ませんが。既婚者にとっては、1番は自分自身の妻であり娘なのではないでしょうか。
 言いたい事は、限定を設けないと、物事や人は選定出来ないという事です。

 最近の地球上の物で溢れかえっている現状を見ていると、その物、建物であったり、機械製品であったり、プラスチック製品であったり、日用品であったり、衣料品であったり、それらは何処から原材料を持ってきたのかと思えるくらい豊富に存在している。
 一方で、自然を取り崩していって、人類の生活を豊かにしている一面もある。建物は、木材、金属、土等で造られていて、機械製品はありとあらゆる金属を使用し、プラスチック製品は化石燃料、日用品は合成複合材料、衣料品は動物の毛や植物や合成繊維から造られる。

 だが、限定された地球上の事、何れ原材料は枯渇していく。鉄鋼製品の原料であったり、プラスチック製品の原料(化石燃料も含む)であったり、食物の原材料であったり。
 そうすると、地球人が考えるのは、枯渇して住めなくなった地球から脱出して、新しい惑星に移り住む事である。又は、他の惑星から物資を地球に運んで来られないかといった勝手な思惑を持つ事である。
 太陽系は、絶妙なバランスの上に成り立っている。何度も記述するが、『 物理学的に太陽系の様な釣り合いは存在出来ない 』。
 物理学では、釣り合いとは、1mm、1グラム、1秒のズレでも存在したら、不均衡な釣り合いに成り、バランスが崩壊してしまうからである。
 だから、火星から資源を地球に運んで来ようと考えたり、月から資源を運んで来ようとしたら、太陽系の寿命を早める事に成る。

 地球上の環境なり、気候なり、人そのものであったり、地形なり、海の海水の量であったり、雲の量であったり、資源や建物の密集・過疎であったり、これらは全て常に変動している。
 地球を壊してからでは遅い気がする。人間はよく『 不可逆的 』という言葉を利用するが、本当に『 世界 』は不可逆的なのである。一度、大切な人が死んだら帰って来ないし、自分の命も同じだから、人間は自分の生き残りに必死に成る。
 一方で、国や組織という形で、それらの為に命を掛けて死んでいく者もいる。家族の為であったり、国の為に、仕事の為に、責任の為に。

 ここで、『 神 』の話は一切としてしないと、人間の一生は何と儚いものかと思える。身体的差別をされている人達が存在するが、人間の一生の中では何れ歳を重ね、足腰も弱っていく。
 そういった時に、自由に自分の足で何処へでも行けていた幸福感を思い出す。産まれ付きハンデを背負ってきた者達の気持ちも、自分が動けなく成った時に初めて理解出来る。
 人生の意義は、「 ああ、自分はこれだけ一生懸命に生きてきた 」と思えた時にある。いい加減に生きてきた人に限って、生に対する執着が強い様に思える。
 しかし、例外もある。自分の意思に反して、地球上に居場所を無くした人達である。虐めや、虐待や、差別を受けた人達である。彼等は、幾らでも生きようがあるのに命を自ら絶つ。反対に、力のある者は多くの命を奪う。

 『 世界 』とは、そんな閉鎖された空間なのかと考えさせられる。この球状の地球の表面付近で生きている人間にとって。
 貧困な子供が居れば基金を作れば良いし、子供に虐めがあったら自学で自由に学べば良いし、飢饉に喘ぐ国があったら、国境を取り払い食料を支援すればいい。
 それが出来ないのが、この限定された『 世界 』である。利害関係、権力構造、領土問題、民族問題、経済問題等、様々に問題を抱えていて、『 格差 』が『 社会 』には存在している。結局、皆が皆、自分の事しか考えていない。
 我々を縛り付けている地球という『 世界 』から羽ばたく為には、何が必要かと考えた時に、やはり『 外からの助け 』である『 神の力 』であるように思えて成らない。
 何時か、地球が人間の住めない環境に陥った時に、『 神 』が『 ノアの箱船 』をよこしてくれるかは、信じるしか方法がないのである。
 人間が死ぬ時に、『 天界に召される 』事を望む様に。
 人間自身の造りだした閉鎖的都市などが、人間の行動や思考の『 世界 』を狭めている。