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最近流行りの人材と人財という言葉について

2018/10/19

 読者の皆様へ。

 最近流行りの人材と人財という言葉について考えましょう。

 端的に言うと、人材と人財という言葉のニュアンスが違います。人材は埋もれている才能、

人財は国や会社が持っている人の事だと思います。

 最近は、人財という言葉が会社などで重視されていますが、それは会社が人で出来ているか

らであって、人財が必ずしも優秀な人という意味ではありません。所謂、外面だけ良くて、中

身がなければならないのです。

 昔、戦国時代に、甲斐国の武将、武田信玄が『 人は城、人は石垣、人は掘 』と述べてい

ます。戦国時代は、優秀な人材であれば登用し、能力に応じて、一族郎党でなくても高い地位

に主君は取り立てました。武田信玄も、現在の山梨県の本国だけではなくて、長野県の豪族も

重用しました。

 一方で、織田信長は、羽柴秀吉、明智光秀を登用し、一族郎党と同じだけの権力を与え、国

の統一手前まで行き、結局は味方の反感を買い、敗れました。

 羽柴秀吉は、しきりに部下で優秀な者を集めて、その能力を開花させて、日本統一を果たし

ました。

 しかし、結局は、長い江戸幕府を開いたのは、一族郎党の集合体で、同族を大事にした泥臭

い徳川家康です。家康は、一族郎党と外様をはっきりさせて、外様を事ある事に因縁をつけて

、おとり潰しにしました。

 現在の日本国はどうでしょうか? 人材が埋もれているのに会社は登用せず、安い派遣社員

や外国人労働者に頼っていませんか。これは、外国人差別ではなく、日本の会社システムがお

かしいと言っているのです。

 ニートでも失業者でも高齢者でも、優秀な人材を会社に登用して、育て上げて人財にする。

これが、ベストなのではないでしょうか。現在の日本国にとって。

 私は、地球規模で人類の存続の心配をしているので、政治には興味ありません。ただ、正し

い行いを応援するし、愛国心もあります。目先の利益に囚われるな。

 言いたい事は、未だ有るのですが、そこは言わずもがなです。

 続きはまた今度に。

                            2018年10月19日 著者

物質の風化と摩耗について

2018/10/19

 読者の皆様へ。

 物質の風化と摩耗について考えましょう。

 これらの言葉は、近い言葉であると考えられます。また、水分に固体が溶けていく事も、近

い関係にあります。

 風化とは基本的に、空気に物の外面がさらされて、分子の衝突により固体が削り取られて行

くことです。

 では、磨耗とは、より硬い物と、軟らかい物が接触して、軟らかい物の方が多く分子を失う

事を言います。勿論、硬い物の塊の方も、100%無傷という訳ではないと思いますが。

 水溶液に、物を入れると大抵、溶け出してきます。例えば、コーヒーに角砂糖を入れると、

角砂糖の表面が次第に浸食されていき、虫食い状態になり、最後には無くなります。しかし、

何故か、温度による水溶液と溶かす物質の飽和量があり、溶解平衡というものが存在します。

 ですが、それは水溶液に溶けているある物質の溶け出す量と個体化する量が平衡するという

意味なので、コーヒーに過剰の角砂糖を入れると全て溶けた後で、砂糖の層がコーヒーの底に

溜まりますよね。よく、砂糖を入れ過ぎたコーヒーの底の部分が甘過ぎたり、砂糖の砂状の物

が底に溜まっています。

 理科の実験で、高い温度にある水溶液(溶媒)に、多量の物質(溶質)を溶かして、冷やすと物質

が析出するというものです。

 金属でも、これが行われます。ある金属を融かして、金属に特色を持たす特殊な金属を入れ

ると、溶媒金属の中に溶質金属が均等に溶け込む。これ以上は秘密です。

 結論としては、風化は気体による浸食、磨耗は物質による浸食、溶解とは水溶液による浸食

と、考えられるという事です。

 続きはまた今度に。

                            2018年10月19日 著者

空を飛ぶ方法について

2018/10/18

 読者の皆様へ。

 空を飛ぶ方法について考えましょう。

 先ず、人間が初期に考えた空を飛ぶ方法は、風の力を利用することでした。パラグライダー

や巨大な凧に体を載せ、瞬間的に空を飛ぼうとしたに違いません。

 時は、下って、エンジンが開発されました。そこで、その原動機を使用して、回転するファ

ン(プロペラ)による飛行機が開発されました。当初は、ヘリコプターではなくて、翼を利用した

飛行機の前に、推進力としてファン(プロペラ)を使用しました。ヘリコプターは、牽引力とし

してファン(プロペラ)を使用しています。

 更に飛行機は進化し、推進力をジェット噴射に頼る様になり、翼の一部の傾斜で、昇降を可

能にしました。これは、人間が開発出来る限界です。

 鳥や昆虫は、筋力と羽で飛行を可能にしています。所謂、ソフトな空の飛行です。急展開、

急上昇降下も、その鳥の経験値や訓練で、脳と連動して記憶(メモリー)されています。

 鳥と昆虫では、飛行の質が違い過ぎます。それは、内骨動物と外甲殻の違いに思われますが

蝶の例もあります。鳥の最大の特徴は、その翼をはためかせる筋力にあります。人間が大きな

翼に似た物を腕に取り付けて羽ばたいても、体すら持ち上がりません。

 機械で、それを実現出来ると思いますが、軽量化しても、鳥のソフトで鋭角な動きは、真似

出来るものではありません。

 私の姉の鳥の羽のシミュレーション理論は不完全でした。動物が空を飛ぶ様に進化したのは

、何かの真似でしょうか? 空気抵抗を利用して浮力を得て、空に舞い上がる。これは、動物

では、並大抵の事ではありません。

 先ず、脳が空を飛びたいという欲求にかられます。人間は、夢で少し低い空を飛ぶ夢を見ま

すが、未経験なのに、何故、その視野が得られるのか? 簡単に推測すると、高い位置から低

い位置を見下ろした(山やビルから)経験により、人間の脳が視覚的に物の位置を把握していて

、高い位置からの視点に置き換えている。これが科学的な見解です。

 ですが、飛行機も乗った事がなく、TVでも見た事が無いのに、見知らぬ土地の上空を飛んで

いる夢を見ます。これこそ、人間の脳の未知の部分で、非科学的な分野でもあります。

 鳥か昆虫が最初に空に飛び立った瞬間。これこそ、神秘なのではないでしょうか。

 続きはまた今度に。

                            2018年10月18日 著者

鳥の羽のシミュレーションと航空機の翼の違いについて

2018/10/18

 読者の皆様へ。

 鳥の羽のシミュレーションと航空機の翼の違いについて考えましょう。

 私の姉が20年位前に、鳥の羽のシミュレーションを解明したと強い口調で言っていました

。鳥には、低い所を飛ぶものと、高い高度を飛ぶものといます。

 雀の様な低い所を飛ぶ鳥は、羽が短く硬く出来ている様に見えます。これは、瞬発力を要求

される為で、外敵から身を守る為に、羽を思い切り羽ばたかせて空気を押し下げて飛び立ちま

す。

 一方で、高い高度を飛ぶ地上の小動物を獲物に狙う、若しくは大型の鳥は、羽を思い切り広

げると1、5~2メートル位になります。このタイプの鳥は、よく観ていると羽を羽ばたかせ

ているだけではなくて、波打たせて羽ばたいています。

 羽の根元の筋肉を動かして、それが羽の根元から先端へと波を打つように伝わって行ってい

る。大型の鳥と小型の鳥は、根本的に羽の動かし方が違っている様に思える。

 昆虫は、甲殻の中に羽を隠していて、その羽が透明で柔らかい。これも、2種類あり、蝶型

とカブトムシ型で、蝶型は羽が硬く羽ばたく時は、羽をうちわの様に動かしている。

 カブトムシ型は、透明な柔らかい羽を振動させながら、波打たせて羽ばたいています。

 人間の作る航空機は、翼が固定式で、翼の傾きを変える事で尾口から空気を思い切り出して

推進力を得て、空に浮かび上がる。これらの違いは、その体や機体の重さで決まり、鳥や昆虫

は極限まで体を軽くしていて、航空機は人を沢山載せ強度を保つために重い。

 結論を言うと、空の飛び方は様々あり、羽を必要としているが、余りに軽い埃やチリやビニ

ール袋等は、少しの風で上昇気流に乗る。また、気球など、空気の密度の違いを利用して浮力

を得て、空を飛ぶ事も可能である。

 続きはまた今度に。

                            2018年10月18日 著者

議論による考えの前進と空間の広がりについて

2018/10/17

 読者の皆様へ。

 議論による考えの前進と空間の広がりについて考えましょう。

 『 議論による考えの前進 』について。人が1人の時の考えは、時として天才的な領域に

ある事があります。過去においては、分子説を唱え出したあの人です。原子説との議論で敗れ

ました。また、地球が太陽の周りを公転していると唱えたあの人です。昔は、太陽が地球の周

りを公転していると思われていた時代もありました。

 人が沢山集まると、それなりに良い案が出ますが、折衷案に収まります。折衷案は、確かに

責任が1人に集中せずに無難になります。しかし、周りの反対を押しきって事を実行した指導

者によって、人間は失敗も成功もしてきました。

 誰かが新案を出します。それが斬新であった場合、賛成派と反対派が絶対に出ます。新製品

開発とします。賛成派の意見が通ったとして、商品がヒットしても、ライバル会社はもっと斬

新で新しい新製品を開発させてきます。

 根幹の技術を抑えるのが得策ですが、先見の明で、10年先、100年先を考えて対策を練

る者が秀才としたら、1000年先を考えて対策を練る者は天才です。それは、議論して成し

得ないで、行えるものでしょうか?

 話は変わり、本日、知人が家を訪ねて来てくれました。宇宙∞の膨張の話が出ました。宇宙

∞が膨張しているとは、如何なる事を言うのか? 物質、空間、時間の膨張でしょうか?

 初めに、空間の膨張の事を考えましょう。空間が膨張しているのであれば、最外面の外には

何も存在しない、非空間となり話がおかしいです。矛盾が存在します。内空間の外は空間でな

ければ成りません。

 それをクリアして初めて、物質の膨張が考えられます。空間が有ってこそ、物質が存在出来

るからです。

 最後に時間です。時間が存在して居ないとは、どういう事でしょうか? 物が全て少しでも

動きを止めていると勘違いしていませんか? 要するに、運動エネルギーがゼロの状態です。

これも、位置エネルギーが存在していて、瞬間的には全宇宙∞の物質の運動エネルギーがゼロ

に重なる瞬間があるとしたら、想像出来ません。

 そんな確率が存在して居るとは思えません。ですから、時間の膨張も私は否定的です。寧ろ

、過去から無限大∞に時間が存在している。少なくとも、人間の考えられる数値を超えて。

 だから、大宇宙∞は神秘の宝庫なのです。

 続きはまた今度に。

                            2018年10月17日 著者

客観的時間と相対的時間と絶対的時間2

2018/10/16

 読者の皆様へ。

 客観的時間と相対的時間と絶対的時間の続きを考えましょう。

 宇宙∞規模に考えを拡大してみます。人間の科学的歴史は1~2万年とします。本当は数千

年間しかないですが、昔の古代文明が、何処まで科学(数学、物理学、生物学、化学、医学を)

解明していたか、情報が途切れているからです。

 銀河が出来る時の事を考えます。恐らく、物凄いエネルギーの消費が起こり、物質はその姿

を保てず、空間は膨張収縮し、時間は内部で狂います。

 人類の2万年の科学の歴史では、銀河の形成の経過観測をしていないので、その全容は全く

不明です。朝顔の花の、絵日記の様には、観察出来ないのです。

 『 客観的時間 』としては、そと宇宙空間から銀河の形成を見れば言い訳ですが、『 相

対的時間 』としては、その銀河の形成の中に入ってみれば言い訳です。

 現在の我々の住んでいる地球の所属する天の川銀河が、完成形だとは考えていません。形成

中か、若しくは崩壊中のどちらかで、安定期であっても、太陽系の様に、滅びの方向に向かっ

ている可能性があります。

 地球上から、他の銀河を高性能な望遠鏡で観察できても、その全容は解らず、我々の住んで

いる銀河系も、観測的な想像図ではないのですか。銀河系を美化し過ぎです。こんな銀河系で

あって欲しいとの願望が入っています。

 今、我々人類は、この銀河系の中の『 相対的時間 』の中を生きています。だから、物質

も空間的密度も時間的流れも場所により違います。これが、もし違う銀河から我々の銀河系を

観察していたら、『 客観的時間 』に近付きます。

 大宇宙∞程度の大きさの観察眼がもし可能なら、『 絶対的時間 』に近づく訳です。要す

るに、生物が存在して初めて時間的概念は感じる事ができるのですが、勿論、時間は普遍的に

流れてもいるので、生物の大きさによっても『 時間的概念は違う 』訳です。

 続きはまた今度に。

                            2018年10月16日 著者

客観的時間と相対的時間と絶対的時間の解離について1

2018/10/16

 読者の皆様へ。

 客観的時間と相対的時間の解離について考えましょう。

 先ず、『 客観的時間 』とは何かについて。これは、人が起きていて、あるいは眠ってい

て、刻一刻と過ぎていく時間を言います。例えば、同じ授業を受けている生徒が40人いて、

皆が起きていて同じ授業を教室の前後左右の自分達の席から、先生の動きと話を見ていて聞い

ている時間とします。

 『 相対的時間 』とは、何かについて。これは、生徒達が同じ授業を受けていて、ある者

は先生を注視していて授業内容を脳に90%理解している、ある者は自分のノートに絵を描いて

る、ある者は机にうつ伏せになり寝ているじかんとします。

 これらは一見、同じ時間を生きている様で、全く違う時間を過ごしています。生徒が皆、先

生を注視していて皆が1秒たりとも時間を無駄にしない場合でも、机の前の位置にいる生徒と

机が後ろにある生徒では、目に入ってくる情報の時間的誤差があり、また、観ている景色も違

うから、『 客観的時間 』と思えても『 相対的時間 』でもあるのです。

 細かい事を言えば、大学の大きな段差式の広い教室で、前の席で授業を受けている生徒と、

後ろの席で授業を受けている生徒では、成績に違いが出ます。目に入ってくる輪郭、光の速さ

と先生の声のギャップ、不必要な前の席の生徒の映像が目に入る、集中力が前の席の生徒の方

が長続きするからです。

 これは、地球上でも位置の違いにより、微少に宇宙空間の影響を受けています。もし、授業

を丸々と寝て過ごした生徒は、『 極端な相対的時間の中にあり 』皆に時間的に取り残され

た状態にあるのです。皆が授業の内容の映像をある程度共有化したのに、自分だけは寝ている

時間の記憶がなく、時間を失っている。これは、人間が脳で時間を大体、把握している事に依

存します。

 では、『 絶対的時間 』は無いのでしょうか? これは難しく、普遍的な時間が存在する

かに集約されます。絶えず、宇宙空間のある座標に留まって、人間が起きていて、同じ作業を

していても、絶対的時間は存在するか疑問です。宇宙∞は絶えず動いていて、同じ条件が存在

しないからです。

 宇宙∞の膨張説が一般的ですが、収縮も否定できません。私は、大宇宙∞は無限だと考えて

いるので、部分的に膨張したり、収縮したりしていると考えています。だから、『 客観的時

間』『 相対的時間 』『 絶対的時間 』はそれぞれ存在していて、場所や瞬間や物質によ

って、絶えず変動していると考えます。

 ある授業で、先生が講義をしているのを、後ろの席の人が半分寝ていて、その1人が眠りか

ら覚めて1秒に感じていた45分間を、前の席に移動して取り戻す事もできるのです。先生が

授業の終わりに本日の総復習をすれば。

 続きはまた今度に。

                            2018年10月16日 著者

昔の人が抱いていた近未来都市と森林の重要性について

2018/10/14

 読者の皆様へ。

 昔の人が抱いていた近未来都市と森林の重要性について考えましょう。

 一昔前のSF映画を観ると、近代都市が超高層ビルに複雑に絡み合う高層道路が存在して、森

林の無い荒れた荒野が、都市部以外に広がっているイメージですよね。

 そうなったら、都市計画の失敗ではないでしょうか。何故なら、森林や木で埋め尽くされた

山々が、空気の清浄剤の役割をし、酸素の供給源になり、気温の上昇を抑えるからです。

 先ず、環境学者の方には、森林と都市部の地表での限界比率を計算して欲しいと思います。

よく、環境保護区みたいな、決められた森林山々が存在していますが、それをきちんと設定し

て貰い、一定の人間が生き残るだけの自然環境を残す必要性があります。

 光合成をして酸素供給出来る森林が多くあった方が良いのは当たり前です。それと、海洋へ

の工業排水、家庭排水の垂れ流しの禁止をし、一度、水の洗浄施設に集めて再利用するか、海

に返す。

 そのサイクルが上手く行くと、先ず海洋上で雲ができ、陸地に流れていき、都市部と森林部

に雨を降らす。これも酸性雨ではなく、人間が浴びても良い程度のpHの雨に保つ。森林では、

水分が蓄積されて、動物達が自由に生きる環境を整える。

 乾燥地帯は、現在の科学では作物も育てられる位になりましたので、地下水を使い果たすの

ではなく、森林を育て上げ、理想としてはオアシスを作り上げる。偏った都市計画ではなく、

理想は都市部と森林山々地帯の均衡化です。

 最近の自然災害を見ていると、人口密集により、被害が拡大している傾向がある。地球温暖

化によりハリケーンや台風の巨大化に備えて、堅固な建物や街作りにするのもいいが、自然災

害の巨大化を抑える方策も必要である。

 利益優先の都市計画ではなく、自然環境を考えた都市計画が必要とされる。

 別の見方をすると、地球という惑星が、冒されつつあるのを、自浄作用を働かせて、人間の

数を減らそうとしているとも思える。いわゆる、人体における抗体作用を働かせていると、極

論として考えられる。

 人間は、誰しも産まれたままの綺麗な姿で、一生を生きたいはずだ。だから、肌にデキモノ

が出来たり、病に冒されたら、そこを治そうとする。

 人間がウイルスと卑下する事はない。寧ろ、地球という惑星の手入れをするガーデニングを

行えばいい。何て素敵な庭(森林山々海川)と、皆は旅行で見に行きたくなる環境を整える作業

を、これからの時代は考えていくのが望ましい。

 続きはまた今度に。

                            2018年10月14日 著者

地球の温暖化について考える前にその原因について

2018/10/13

 読者の皆様へ。

 地球の温暖化について考える前にその原因について考えましょう。

 先日、ネットでニュースを見ていたら、2030年には、気温が1・5度上がるそうです。

それを友人は、神の話をするより地球の温暖化について話した方がましと言いました。

 地球温暖化の原因と事実は言わずもがなです。それでも、人類は地球温暖化を加速させてい

ます。何故でしょう。それは、人間一個人のエゴにあると思います。だから、今さら地球温暖

化の防止策を講じることは、人類の必要最低限の生活と、経済、産業発展を否定して行かなけ

ればなりません。

 人口の増加を抑えたり、森林の伐採開拓を止めたり、二酸化炭素を発生させる産業の抑制を

したり。それに、根源的問題である太陽の年齢も考えて行かなければなりません。

 正直、最近の真夏の暑さを体感して、2030年に1・5℃の気温上昇で済むと思っていま

せん。日本国でも、大幅に真夏の最高気温が超えるのではないか? 例えば、45℃の温度を

記録したり。冬には降雪が減ったり。

 気温上昇が急勾配する。これは、専門家に過去に算定した今現在の気温の上昇予測が当たっ

ていたかを調べて欲しい。必ず、予想気温をオーバーしていると思われる。不測の事態を想定

に入れていなく、まさか、こんなに急速な世界各地での工業振興が行われ、人口が増えると試

算出来なかったからだ。

 恐らく、2030年の気温上昇は、コンピューターで計算予測したのだろうが、現在のコン

ピューターにそれだけ正確な能力があるはずがない。街作り、産業の発展、新技術、新製品の

開発、経済の動向、新興国の発展、色々な要因を計算外にしているからだ。

 そうでなければ、日本国でも、今年の様な大型台風による強風、高波、高潮、大雨による川

の氾濫、地震で、列島が大きな被害を被るとは思いもよらなかったはずだ。海上空港の設置で

もミスを犯したし、原発の設置場所もミスを犯した。自然界は、人類の予想を遥かに超えてく

るのだ。

 家の建て方、建てる場所、海抜、地盤、全てにおいて業者の利益優先主義で、購入者に考

えられる危険が話されていない。災害によっては、もうその土地に住む人も居なくなる。

 友人が言った言葉『 神より地球温暖化を考えた方がまし 』とは、人間の道徳心は考えな

いでもいいという事になる。道徳心が有れば、地球温暖化を防ぐ要因の1つに成る。

 地球温暖化は言ってしまえば、地球にはどうでもいいことだ。人類にとって不都合なだけで

。人類に不都合とは、巨大化を目指す企業や街作りや自然環境の保護が面倒なことである。

 私は魚釣りをするが、成るべくゴミは持ち帰る。しかし、煙草を気持ち良く吸いながらその

吸い殻を海に投げ込む人がいる。煙草には、人体に有害な200以上の有害物質が含まれてい

て、海に捨てた煙草から出た有害物質を魚が蓄え、その魚を釣って人は食する。

 工業排水も、基準値以下であれば垂れ流してよい。これが、土壌や海に流れ込んで、人体に

影響を与えない訳がない。

 そこの所を念頭に置いて、地球温暖化の是非を考えて、結局、人間にとって地球温暖化は不

都合だから改善して行きましょうと考えるのが普通である。

 続きはまた今度に。

                            2018年10月13日 著者

神の姿形について

2018/10/13

 読者の皆様へ。

 神の姿形について考えましょう。

 昨日、大宇宙∞の話を友人としていました。神と大宇宙∞の関連性と、大宇宙∞を創られ

賜うた神の姿について。友人は、神の姿が何か語れないのであれば、その神への信仰が嘘で

私が小さいそうです。

 本来、神の姿は、どの宗教でも見えないとされています。色々な説がありますが、世界的

に1番大きな宗教でも神の形を決めていないと思います。仏教は、穏やかな表情の者や険し

い表情の者が、人間に近い形で色々と木像で沢山の作者で現存しています(神ではなく仏とし

て)。太陽神信仰では、太陽そのもの、若しくは太陽を擬人化した神の姿を表しています。

 私は神は大宇宙∞そのものであると説いてきました。ですから、擬人化する必要もありま

せんし、人間の形をしていると思えません。むしろ、神は自分の一部の姿を何にでも変える

事ができるので、時に人間でいう所の眼を恒星に変えたり、ある惑星が神の細胞の一つであ

る場合があります。

 それが、太陽を神と崇めて声を聞くのを巫女なのか、頭部を動物にした人間型に絵に描い

て残すのは無理があります。昔の人は、想像力が及ばなかったのでしょう。言うなれば、神

とは、地球上に姿がない宇宙神(宇宙∞の人)でしょう。

 私は神の絵を描いた事がありません。神は無形で、絵にする事さえ恐れ多いからです。む

しろそのまま、宇宙∞の姿をそのまま描いています。部分的に、切り取れる範囲で。畏敬の

神秘の念を込めて。無限だから、有限の画用紙なりに描くことが本来出来ないのです。

 だから、友人の『 神を見たことはあるか? 』という質問には、『 神の起こす奇跡は

毎日見ている 』と答えたいです。本来は、神は崇高な方なので、天使という使いを人間界

によこすからです。或いは、姿をやつして地上世界に現れるので、特定の姿を持たないので

す。

 続きはまた今度に。

                           2018年10月13日 著者