2018/11/08
読者の皆様へ。
闇と単細胞生物の関係について考えましょう。
人間が感じる暗闇とは、明かりが無い所、若しくは眼を閉じてアイマスクを付けた時です。
これは、人間が目を通じて明かりを見ているからです。
では、目の無い単細胞生物は、どんな世界を生きているのでしょうか。恐らく、物が見える
というレベルの考え方自体を持っていなく、ただ、子孫を最期の瞬間に残す為だけに生きてい
るのでしょう。
見るという行為は、自発的意思で動く、自由に動き回るという意味で、生物にとっては重要
な要素である。昆虫は、目の未発達により、触覚に頼っているものもいる。
この文章は、盲目の人を特別視して書いているものではなく、人間はいずれ歳を経ると盲目
に成っていくものであるから、見るという行為を如何に解明していくものである。
では、核を持つ単細胞生物は、何を見て生きているのであろうか? 恐らく、耳も鼻も無い
事から、感覚に頼っているはずだ。もしも、単細胞生物が自分自身の意思で目的地に行く事が
出来るには、通信を使っている可能性がある。鳥が暗闇の夜に、遠くの仲間に鳴き声で居場所
を知らせるように。
人間社会でも、信号機がある。携帯電話を触っていて、信号が青に成ったら人波が動きだし
、自然と自分自身もその人波に乗って交差点を渡る。これは、ある種の集団行動で、渡り鳥の
集団の隊列的飛びかたに似ている。横の鳥が少し右に動いたら、その隣の鳥も少し右に動き、
それが波の様に伝わって行く。訓練もしていないのに、鳥は滅多にお互いにぶつかる事が無い
。
人間社会の自動車道路を考えると、それが毎日、事故の連続である。これは、人間が自由意
思で動いているからで、鳥達はどんな情報伝達組織を持っているのかが不思議である。単細胞
生物にしても、同様である。
暗闇の夜に、渡り鳥は隊列を組んで空を飛んでいて、衝突をしていないはずだ。眠くなる、
体力が尽きた鳥は、取り残されるか、休憩して再び旅立つか、その場に居座る。
SFに近い話に成ってしまい申し訳ないが、見るという感覚が発達すると、感じるという感
覚が鈍る事は事実である。暗闇で音楽を聴くと、より美しく音が聴こえるものである。
続きはまた今度に。
2018年11月8日 著者