2018/08/13
読者の皆様へ。
時間と人間の意志の関係について考えましょう。
仮に、目的地A点があり、出発点0があったとしましょう。出発点0から、目的地Aまでの
行き方が100通りあったとしましょう。
もちろん、どの行き方をとっても、速度、歩き方、等でその人の運命が枝分かれします。
ですが、出発点0で、人がどの道を選ぶかで、考え抜いた末、その目的地Aへの行き方を選ん
だ場合、運命はその人自身が決めた様に思われます。
しかし、これは間違っていると思います。行く途中で、どんな事が起こるか未知ですし、自
身がフェイントをかける動きをして、元の道を戻り、他の行き方を選択するかもしれないから
です。
詰まり、同じ行き方を選んでも、歩いて行くのと、走って行くのでは意味合いが異なるし、
無限大の時間の使い方と経過があります。
それに、他人が絡んでくると、更に無限大の時間の使い方と経過があります。
誰かに逢いに行くのに、ダッシュで会いに行くのと、ゆっくりと会いに行くのでも時間の経
過と使い方が違うのですが、何故か、その存在は解離しません。解離するのは、会えなかった
時です。
それらは、地球の上でのみ行われていることなので、時間的なズレが余り無いのだと考えま
す。大宇宙∞に飛び出した時には、そうはいかないと思われます。
もし、人間が、宇宙船を開発して、逆方向に地球から出発して、1万年経ってしまったなら
、時間的なズレが大きく成りすぎて、空間的な問題もあり、再会することは出来ないでしょう
。時間とは、大宇宙∞のそこかしこで、同じ経過の仕方をしていないはずだからです。
ただし、それを可能に出来るのは、大宇宙∞そのものだと思います。詳しくは、また今度に
考えましょう。
続きはまた今度に。
2018年8月13日 著者