死後の世界の仮定

2018/04/25

 読者の皆様へ。

 今日は死後の世界を考えてみましょう。科学的に。

 地球上では、人間の体を構成している物質は、絶えず循環しています。だから、

どんな人でも、必ず、誰かの体を構成した物質なり、元素なりが、1度は体の中

を巡って、また体外に出ていきます。

 これを、『物質循環』と名付けることにします。これは、有機物、無機物に限

りません。吸っている空気、食物、排泄物。果ては、細胞(極端な例は体組織移植)

にも至ります。

 皆さんは牛肉、野菜、魚が好きですよね。牛は、野菜を食べて育ちます。その

牛を人間は食べます。排泄物を、野菜や飼料(鶏のふんも含む)の栄養素にして野菜

を育てて、それを直接食したり、家畜に食べさせます。

 ある意味、自分の排泄物を構成していた有機物、無機物が変換され綺麗にされた

ものを口に人間は入れている訳です。これは、自爆的行為ですよね。

 お魚にしても、同様です。グロテスクなミミズや、軟体動物を食して体の肉を

構成した魚を、美味しく食している。その途中の過程を飛ばせば、ミミズを直接、

口にしているようなものです。

 だからといって、気にすることはありません。確かに、形は違えど、タンパク質

を口にして、生きていると考えれば。食する物の形が違うだけで、見た目の美的

感覚と、好き嫌いがあるだけです。

 では、本題『死後』の世界を考えましょう。要するに、自分を構成する体の構成

要素は、誰かの体の構成要素として生きていると考えれば、良い訳です。前向きに

考えれば。死ぬのは、苦しいかもしれませんが。

 同じように、魂も1度、天界で混ざりあい、シャッフルされてから、再生する

ものであると考えています。それが、人間だけなのか、他の哺乳類、両生類、魚類

、昆虫類、微生物も含めて。

 だから、天界が宇宙∞共通のものであるなら、シャッフルされてから、地球以外

の他の星で生を賜ることも考えられると思われます。

 続きはまた今度に。

                        2018年4月25日 著者