2018/04/17
読者の皆様へ。
今回は人間の勘違いについて語りましょう。
努力して下積み時代を過ごしてきた人、何でも出来る天才少年、凡人がいたと
しましょう。これらは、互いに認め合いません。何故かというと、自分を基準に
人間は物事や立場を考えるからです。
内に秘めた潜在能力や情熱や才能を見破れないものです。だから、一人の偉業
を成し遂げた過去の人物と比較して、上っ面だけみて、ある人を非難します。
例えば、極一般的な年寄りが、一人の才能を内に秘めた若者の評価を早合点で
つけていまうのです。
『見返してやる』と『見直した』は、主語が正反対でも同じ語源なのではない
でしょうか?
例えば、その人の何も知らない第三者が、例えば歳をめされた白痴な人が、ある
若者を表面上だけで貶す。多分、若者は「なにいってんだこのジジイ」と思うで
しょう。しかし、若者もそこはグッと我慢して、少しずつ自分の良い所を見て貰い
ましょう。
そうすると、案外、『最近の若者も捨てたものではないな』と気付くでしょう。
嫉妬心や優越感等は、誰にでもあります。しかし、それに支配されている人は、
自分が優れている人間だと思い込み、謙虚ではありません。
自分を棚に上げて、自分をスターだと考えがちなのが人間です。歳をめされて
限界が見えた人、一芸でしか秀でられなかった人、そして凡人は才能ある若者の
可能性を認めるべきです。
人間は1つの道を極める人、多才な人様々です。私もとかく、他人を見下して
しまいがちですが、時に若者と接していると、その才能に感服させられることが
あります。
続きはまた今度に。
2018年4月17日 著者