立場による正義と悪の入れ代わりについて

2019/03/30

 読者の皆様へ。

 立場による正義と悪の入れ代わりについて考えましょう。

 戦争や喧嘩の原因は、必ず言動から始まります。これは、現在の地球上で、多種多様な民族

、宗教、国家が共存共栄出来ている事からも言えます。

 戦争や喧嘩は、必ず、先に手を出した方が悪です。それは当たり前で、口論で済む問題であ

るならば、お互いに言いたいことを言い合い、納得の上に双方が怒りを納めれば問題はありま

せん。

 よく、男同士は「腹を和って話す」という言葉を使います。お互いの根底にあるわだかまり

を全部吐き出し、相互理解をするという事です。

 今の現代社会では、他人の悪口を言い始めた人が悪です。では、正義とは何かと考えると、

相手の悪口に対して寡黙でいるか、相手の間違いを正すことです。

 しかし、お互いに立場もあります。『真の正義』とは、自分の立場と相手の立場に立ってみ

て、どちらの立場で物事を見たら、より納得出来るか、より矛盾がないか、より怒りが小さい

かではないでしょうか。

 例えば、最近話題に成っている学校での体罰の問題です。親からの体罰の問題です。

 仮に学校で、生徒が先生に暴言を吐いた場合、日本ではその生徒は許されています。しかし

、先生も人間ですし職場での出来事でストレスがたまり心を病みます。むしろ、先生の方が受

身で立場が昔より弱く成っています。生徒は先生に対して、「あの先生キモいよね」と言った

言動が目立ちます。

 これは、根底から教育方針が間違っていた現象だと思います。家庭でも、親が子供に「しっ

かりと学校で学んでくるんだよ」と諭している場合、このような事が起きません。

 私が学生であった時には、先生の授業内容は、一語一句聞き漏らさない様にしたものです。

授業中に、可能であるなら、授業内容を100%吸収しようとしました。先進国と後進国では

これが真逆であると思います。後進国では、教育を受けるありがたみが高いからです。先進国

では、教育を誰でも受けられありがたみが薄れています。

 今度は生徒の立場で教育を見ると、先生の質があらゆる意味で落ちています。何故なら、高

等教育を受けて志しを持った先生が減っているからです。先生はある意味、生徒の模範となら

なければなりません。それを、大学をいい加減に卒業して教員免許を持った先生に授業を受け

ると堪りません。

 先生がマニュアル化されていて、授業内容以外の人生をより良く生きていく助言が出来なく

成っています。

 先生も生徒も言動に注意しなければ成らない関係です。学校はもっと伸び伸びした場所で良

いのではないでしょうか。悪い事をしたら怒られ、善い事をしたら誉められる。

 正義と悪の入れ代わりですが、お互いの立場に立って物事を考えると、どちらがより正しい

かが判ります。歴史的関係も同じではないでしょうか。

 ここで付け加えたいのは、余りにも過去の出来事に捕らわれているのも、未来的関係を構築

するのに相応しくないという事です。

 続きはまた今度に。

                             2019年3月30日 著者