物質の地球上での循環と生命の循環について

2018/11/27

 読者の皆様へ。

 物質の地球上での循環と生命の循環について考えましょう。

 地球上での物質は、仮に地球の歴史が46億年以下と仮定して、稀に隕石が珍しい贈り物を

地球にもたらしてくれる事を除いて、常に循環しています。

 先日、肉を私は食さないと話しましたが、実は、何を食しても祖先を食している様なものな

のです。

 太古の昔の恐竜の身体を形作っていた物質が、現在の人間の身体を形作っていたり、牛を形

作っていたり、魚を形作っていたり、植物、昆虫、微生物、ウイルスを形作っています。これ

は、遺伝子がどうのこうの以前に、原子レベルの大きさの物語です。

 人間の3大栄養素である、『たんぱく質』『脂質』『炭水化物』も、原子レベルで考えると

現在発見されている100数十の元素の、組み合わせで作られています。これを『食物連鎖』

に因んで『元素連鎖』とでも言うのでしょうか。

 だからこそ、大宇宙∞には、物凄い無数の元素と同位体、それに発見されていない素粒子も

沢山存在していて、恐らく創造主『神大宇宙∞』の芸術的世界なのだと考えられます。

 ここで、神なる何者かは、無限の大宇宙∞の何処にでも瞬時に生命を与える事が出来るし、

情報の伝達も可能な事が出来るとする。所謂、情報と物質と魂のネットワークである。だから

、人間はこの未知の神の力を『 超能力 』と呼んでいる。

 この超能力なる神の力は、定められた神の天文学的数値計算の上に成り立ち、小波で遊んで

いるスモールウェーバーである人類は蚊帳の外に置かれている。前から言っている様に、人間

が現世と呼ぶ物質世界であるこの地球上で、自己中心的な考えで自分勝手に生きていて、傲慢

で、まるで自分が他人より何処が優れていると、『ドングリの背比べ』をしている程度の生き

物だからだ。

 仮に、誰かが巨万の富を築き上げてラッキーと思えても、資産はその内失われるし、平均的

な人間は必死に人生を生きていて詰まらない人生を歩むし、貧困に喘ぐ人は犯罪に走り易い。

結局は、死が待っていて肉体は失われ、魂が『神の裁定』を受ける。

 よく、権力を得ている人を見ていると、批判されている人でも真面目な人がいたり、人の

良さそうな人気をはくしている人が実は大犯罪者であったり。だから、人生で1回くらいの小

さな悪さは赦される事があるが、大きな犯罪行為は、厳罰を神から受ける事に成る。

 この辺の善悪が、信念であったり、忠誠心であったり、愛国心であったり、正義感であった

り、天界からの人間の一生涯の『神からの裁定』の認定が難しい。善良に見える人間が、必ず

しも心の中が善良であり、他人と平等であると自分を考えて居なく、他人を心の中で見下して

いると、『神からの裁定』は、地獄に幽閉になるのだ。

 逆に、他人から多くの批判を受けつつも、信念を貫いた者は、天国に召される。個人の能力

で、例えば芸術的、学術的、献身的能力で人を癒した者もそうだ。

 人間の善悪は、教育のされかたで変わる。コロコロと。黒人やアジア人に産まれた者は、何

故か白人から差別を受けたりするし、貧乏に産まれると金持ちに下に見られる。産まれながら

に階層が決まってしまう国さえ存在する。

 神は、大宇宙∞はそんな事は気にしない。実力、能力、性格、そういった基準で生物を見る。

姿、形は関係ない。色々な形状の生命が存在するからだ。

 神大宇宙∞とは、そういった大きな包容力のある太っ腹な創造主である。

 続きはまた今度に。

                            2018年11月27日 著者