2018/10/13
読者の皆様へ。
神の姿形について考えましょう。
昨日、大宇宙∞の話を友人としていました。神と大宇宙∞の関連性と、大宇宙∞を創られ
賜うた神の姿について。友人は、神の姿が何か語れないのであれば、その神への信仰が嘘で
私が小さいそうです。
本来、神の姿は、どの宗教でも見えないとされています。色々な説がありますが、世界的
に1番大きな宗教でも神の形を決めていないと思います。仏教は、穏やかな表情の者や険し
い表情の者が、人間に近い形で色々と木像で沢山の作者で現存しています(神ではなく仏とし
て)。太陽神信仰では、太陽そのもの、若しくは太陽を擬人化した神の姿を表しています。
私は神は大宇宙∞そのものであると説いてきました。ですから、擬人化する必要もありま
せんし、人間の形をしていると思えません。むしろ、神は自分の一部の姿を何にでも変える
事ができるので、時に人間でいう所の眼を恒星に変えたり、ある惑星が神の細胞の一つであ
る場合があります。
それが、太陽を神と崇めて声を聞くのを巫女なのか、頭部を動物にした人間型に絵に描い
て残すのは無理があります。昔の人は、想像力が及ばなかったのでしょう。言うなれば、神
とは、地球上に姿がない宇宙神(宇宙∞の人)でしょう。
私は神の絵を描いた事がありません。神は無形で、絵にする事さえ恐れ多いからです。む
しろそのまま、宇宙∞の姿をそのまま描いています。部分的に、切り取れる範囲で。畏敬の
神秘の念を込めて。無限だから、有限の画用紙なりに描くことが本来出来ないのです。
だから、友人の『 神を見たことはあるか? 』という質問には、『 神の起こす奇跡は
毎日見ている 』と答えたいです。本来は、神は崇高な方なので、天使という使いを人間界
によこすからです。或いは、姿をやつして地上世界に現れるので、特定の姿を持たないので
す。
続きはまた今度に。
2018年10月13日 著者