光の宇宙空間での存在の仕方について

2018/11/05

 読者の皆様へ。

 光の宇宙空間での存在の仕方について考えましょう。

 宇宙空間では、先ず目で光を捕らえることが出来ません。反射物が存在していない場合は。

だから、宇宙船の窓ガラスから外の景色を見るとすると、光の元を出している恒星だけは見る

事が出来ます。これは当然で、光の元が、恒星からあちらこちらに出ていて、恒星を見ている

自分自身の眼に飛び込んで来た光の元だけが見えるという理屈です。

 では、宇宙空間に反射物があると、自分自身の目の前を通過しそうな光の元が、反射物に当

たり屈折して一部の光の元が自分自身の眼に飛び込んで来るから反射物が見える。

 昨日の話に戻ると、光の元は自ら輝いているのかという疑問に答えると『 No 』である。

しかし、もしかしたら、これは光の元が高速光走に入っていて、何らかの特殊なマスクをして

いるのか、速すぎて人間の動体視力では捕らえられない可能性がある。真空中では。

 一方で、地球上で、大気圏の中では、昼間の晴れた時間なら、光の元を景色付きで見ること

が出来る。色々な仮説が立てられる。空気や物質や液体との摩擦説。何故なら、細部まで物が

見えるからだ。

 私は、光の元をある種の生命の元と考えている。地球上の生命を育てるからだ。ここでは、

断言はしません。しかし、光りも真空中では、光そのものの生命維持の為に、何かに少し形を

変化させている可能性がある。丁度、殻に身体を隠す様に。

 大胆な発想だが、それが大気に触れると泳ぎ出す。ここまで来るとSFの世界だが、ほんの

少しの信憑性はある。ここで、光の元が輝き出すのだ。卵から孵化した、鳥の様に。

 一度、真空と空気の交互で出来たガラス板で、実験してみたらいい。恐らく、光はサナギに

も成長した形にも自在に成れるに違いないでしょうか。

 光は永遠だが、自分自身の意思では、動けない。又は、大宇宙∞の天文学的計算の内に動い

ている。生命を生かしもするし、生命を奪いもする光である。

 続きはまた今度に。

                             2018年11月5日 著者