2018/07/13
読者の皆様へ。
無味無臭について考えましょう。
無味無臭とは、存在するのでしょうか? 私は学生時代、チューインガムで友人と
議論したことがあります。
チューインガムには、無害のゴムに有匂、有味の成分を混合させて固まらせて作ら
れています。顎を鍛え、脳の働きを良くし、口の寂しさ(タバコの代わり)に一役かって
います。
それでは、このチューインガムを噛み続けると、味がやがて無くなるのかという今
となっては馬鹿げた口論を友人としました。噛み終わった時に捨てる瞬間です。
私は、噛み続けても味は永遠に無くならないと経験則で意見しました。友人は無く
なると言うのです。今、思えば、これはどちらも正しいです。
極限まで噛み続けると、有限のアップル味は無くなります。しかし、何らかの味は
残ります。
恐らく、大宇宙∞に、無味無臭の物質は存在していないのではないか。水でさえ、
ミネラルを含んでいる、含んでないにしろ、水と人間は認識できる。
普段、私達が水道で飲んでいる水道水は、塩素で殺菌(腐りにくい)されていて、そ
の味が強い。
海の近くの土地は潮の香りがし、山は森林の香りがし、都会は排気ガスの臭いがす
る。私は、よく海に入った後で真水もかぶらずに電車に乗るので、潮の臭いがしてい
るかもしれない。要するに、物質は、全て有臭なのだ。
動物に至っては、特に体内に有機物を取り入れて化学反応をさせるので、匂い(臭い)
があるのは当たり前で、どんなに清潔にした人でも雑菌が体分泌物を分解させ、微生物
の排出物とする。
何が言いたいのかというと、虐めで他人を臭いと言う人程、自分の臭いを気にして
いて、自分の臭いに無頓着なのだ。誰でも排出物は体内に抱えている。それに、内臓や
ら皮膚で蓋をしているだけで、それを外に気体として出せば、一気に嫌われる。これは
他人を嫌っているようで、自らを知らない無知な行為であるということだ。
自ら好き好んでタバコの臭いを着ける(吸う)人もいれば、大事な場面では臭いでさえ
気を使わなければいけない。マナーというものだが、それを気にしないのもマナーであ
る。
世界では、甘い蜜の香りに寄せられて、痛い目に会う生物も沢山存在している。一方
で、良薬口に苦しということもある。芳香性のものが、有害か無害かは人体への影響が
出るまで分からない。
人間とは不思議なもので、電柱に頭をぶつけただけでも血の臭いを感じる事がありま
す。条件反射なのか、遺伝子的なものかは判りませんが。
長くなり申し訳ありませんが、視覚と聴覚とも嗅覚は連動している。暗闇だと匂いが
感じやすく、蚊が耳の横を飛べば独特の臭いを感じる。
匂い(臭い)で決して人を差別してはいけない。民族、生活習慣、食事、体調、様々な
要因があり、だからこそ環境が変われば変化するものだ。年齢によっても。
誰でも、人間なら自分の臭いで1度は悩みを抱えるものだが、心の成長と共に気にし
なくなるし、ホルモンバランスも変わる。むしろ、それを香水で誤魔化してしまうと、
成長に繋がらないし、重大な疾患も見落としてしまう。
要するに、生きていく以上、物質の循環が必要であり、匂い(臭い)とも付き合ってい
かないといけない運命なのだ。これは、慰めではなく、生きてきた中で感じたことで
もある。
続きはまた今度に。
2018年7月13日 著者