死と生について

2018/06/25

 読者の皆様へ。

 死と生について考えましょう。

 人が生きているという事は、自発的に動ける状態のことを言います。最近では、日本

でも脳死を死と断定していて、脳死を待ってなるべく早い臓器移植の為に、新鮮な臓器

を取り出そうとしています。

 何故なら、脳死とは、脳の機能が失われて、心臓が動いている、もしくは心臓が動き

を止めたばかりで、未だ細胞には血液が循環されていて、臓器(細胞も含む)が生きている

状態だからです。

 私は、脳死による、臓器移植反対派でも賛成派でもありません。むしろ、人間の死が

、脳死の瞬間なのか心臓死の瞬間なのか、未だ悩んでいます。脳の機能が停止してから

何十秒か何十分か規定は判りませんが、そんなので死を受け止めていいのか判らないか

らです。もしかしたら、脳死状態であって、その状態から数時間後に脳の機能が蘇生す

る例があるかもしれないからです。心臓停止から蘇生する事もあるからです。

 誰も、自分が脳死状態で、意識があることを経験した人はいません。もし、意識があ

るのなら、体の一部を盗られたらたまりませんよね?

 それは、魂が何処にあるかに起因します。脳は脳細胞の集まりで、本当の個人を示す

中枢部が判りません。魂は残っているが、脳死状態である可能性があるからです。

 決して、臓器移植を待っている人を非難している訳ではありません。それは、死にゆ

く人より、これから生きる可能性がある人を救うのが最善策です。

 ですが、仮に兄弟姉妹の脳死に立ち会って、臓器を患者にお金を貰って差し上げると

なると、完全な死まで(脳死と心臓停止)待って下さいと言うでしょう。涙を流して、ど

うぞ患者の為に臓器を使って下さいと、偽善者にはなれません。

 一方で、もし兄弟姉妹が患者なら、ドナーからの臓器の提供を、1秒でも早く待って

しまうかもしれません。

 結局、どちらの立場にいるかで、考えが変わってしまうのです。

 人間の死の定義を決めるのではなく、人間の死とは本質は何なのかを、科学的に解明

してもらいたいと思います。

 続きはまた今度に。

                          2018年6月25日 著者