2019/09/29
読者の皆様へ。
進化と成長と同一動物同士の見分け方について考えましょう。
先ず、人間は白人、黒人、黄人で色は違えど対等な動物です。民族により
得て不得手は有りますが。
ここで、進化を考えますと、何か病気にかかって、治る時に免疫を生成し
、肉体的にも何らかの変化なり、特徴なりが生まれるはずです。
進化とは、よく絵で猿から人間に成長する様なもので表されますが、簡単
では無いのではないてしょうか。例えば、人類の祖先が氷河期の終わり頃か
ら出現したとしたら、やはり獣の様に体毛を沢山生やしていたはずです。
ここで、体毛の有る無しで、差別はしてはいけませんが、気候が温暖に成
るに連れて、体毛が減って行ったのは想像出来ます。テレビでやっていまし
たが、この体毛が減った事で、人類は汗をかき狩猟時に、獲物の動物を長く
追いかける事が出来る様に成ったそうです。体温調節により。
ここで、体温調節を考えると、水性生物は恒温動物では無く、体内温度が
大きく変わります。やはり、寒さをしのぐのに暖流を好む様で、特に種類毎
に生息圏が限られます。回遊魚も、潮の流れに乗り移動します。
陸上動物は、獣を考えますと、高温地帯の動物は、余り毛を生やしていま
せん。サバンナを見ても、シマウマ、ライオン、シカ等です。長距離走る事
が出来る馬などは特に、人間と同じ様に肌を露出しています。
氷河期から間氷期に入ると、草原が現れて、弱肉強食の動物の世界に成っ
た事によると思われます。恐らく、草食獣が繁殖し、それを狙う肉食獣が現
れた。太陽光が地上によく届き、植物が再び繁殖しだした事により。
人類の祖先も同じ様に、体毛を失って行ったのでしょう。これを進化と言
うのか、環境に適応性を示したのか判りません。その間、食料(獲物の動物)
が捕れ出すと、人類は身体を少しずつ大型化して行ったはずです。栄養過多
により。
日本人の祖先も、縄文時代にはたんぱく質を魚介類に頼っていた(特に貝)
ので、昔から身長が低く、弥生時代(人)に成っても、そう変わらなかった
のが、栄養過多に成り近代には比較的、西洋に近付いたはずです。
恐らく、遺伝子的に蓄積して行ったはずです。
細かい事は言いませんが、進化を遺伝子への情報の蓄積と考えると、成長
はピークが有り後は衰えて行くものです。
そして、同一動物同士の見分け方は、やはりシンパシー(共感)でしょう
。何故か、人間同士は当たり前に人間関係を構築し、異性に惹かれあい、愛
を育みます。異性への愛、家族愛、友情、等です。
それは他の動物にも言える事です。多品種存在している魚にしても、何故
か同じ種類で群れを成し、子供を育みます。例えば、マグロとアジという魚
では繁殖出来ずに、捕食関係にあります。
長く成りましたので、結論を申しますと、シンパシー(共感)とは、愛を
育むものであって、捕食関係には無いという事です。人間ならば、共感を持
った瞬間に異性ならば恋におち、同性ならば友情に成ると考えます。
続きはまた今度に。
2019年9月29日 著者