気配り(日本人に限らず)について

2019/07/25

 読者の皆様へ。

 気配りについて考えましょう。

 例えば、介護や看護(リハビリ)について考察しましょう。

 介護や看護において、それを受ける側に全てを補助する事が、身体の動かない人達に

とって幸せな事でしょうか? もし、全身を動かす事が出来ない人達については、有難

い事かもしれません。

 しかし、若者や、未だ先のある人達にとっては、全てを補助する事が正しいとは言え

ないのではないでしょうか。人間には、自己回復力がありますし、リハビリにより症状

が緩和したり、回復したりする可能性があります。

 昔は、足の骨を骨折したり、病を患うと、捨てられた時代がありました。しかし、現

在は、最先端医療により、それらは治る可能性も多くの確率であります。

 たからこそ、リハビリというものが存在します。補助する人は、症状を回復する術を

患者に与え、動作や思考の繰り返しにより、症状を緩和していき、何れ元の状態に戻す

事も出来ます。

 だから、リハビリを受ける人は、補助する人が少し突き放した補助をする事を、思い

遣りとも受け取る必要があります。虐待の場合を除いて。

 補助する人は、相手が元の状態に戻りたいと望めば望む程に、厳しく成らなければな

らない時があります。患者は、その補助する人の意図と思い遣りを汲み取れるかです。

 私の場合は、助言をしてくれた人が厳しい事を言ったり、したりされた時に、後々、

よく身に染みる事があります。本当に嫌な言動だったのか、自分の為を思っての言動な

のか。

 それが、相手の事を思っての言動なら、気配りになるのではないでしょうか。

 優しさとは、時に厳しい言動であったりします。

 私は健常者ですが、足の指の骨を骨折し、ギブスをしていた経験から、それがよく

理解出来ました。

 続きはまた今度に。

                          2019年7月25日 著者