恒星の光の軌跡と流れ星との違いについて

2018/11/17

 読者の皆様へ。

 恒星の光の軌跡と流れ星との違いについて考えましょう。

 流れ星とは、その言葉の語源は、恐らく太古の人間が、夜空に輝く恒星が流れたとの解釈を

した事から付けられた名前でしょう。流れ星は現在では、大気圏に落ちてきて空気との摩擦で

激しく燃えている隕石であると、誰もが知っています。

 流れ星に願いを心の中で唱えると、願いが叶うという迷信もありました。

 流れ星は、大気で隕石が擦れて崩壊しつつ質量を失いながら燃える砂塵の尾を引くから、細

長く見えるのだと思います。光の速度を考えると、とても隕石が光を発生している軌跡が見え

ているとは思えません。

 恒星がもし宇宙∞の膨張により移動していたとして、もしそれが本当なら近くの恒星と遠く

の恒星で創られる星座が構成されることが、難しいはずである。何故なら、その間に障害物が

幾らでもあり、星が見えない瞬間が存在するはずだ。これも、高性能望遠鏡で常に視界全体の

観測を行いたいが、地上での観測では、地球の自転もあるし公転もあるし不可能がある。

 近くの恒星と遠くの恒星の距離感が変わらないならば、恒星はある程度、固定されていて、

変わるならば、恒星に原因があるのか、太陽系に原因があるのか、宇宙∞に原因があるのか。

 ビッグバンがあったとして、そこから溢れでた物質は常に速度をある方向に持つはずだ。慣

性の法則で。それが、寄り集まり銀河を形成すると、元々持っている速度の中で正負の小さな

速度で物質が寄り集まり、ある方角に流れて行かないとおかしい。

 ビッグバンの点が、魔法箱の様に次々と物質を供給出来ないなら、宇宙∞の物質が存在する

地点はリング状になっていないと理屈に合わない。あわ構造はいいとして、そのあわ構造は球

状の薄い厚さを持つ表面上になければおかしい。

 地球上で、物質が地球の中心部に集まろうとするのは、地球の引力(重力)によるもので、花

火を打ち上げても、空気抵抗と重力によって、大きくても火薬の量にもよるが、直径100メ

ートル程度だ。核については言及を避ける。

 宇宙空間では、勿論、引力の中心が無いと思われ、ブラックホールの引力の秘密も解明され

ていない現在では、ビックバン地点に引力が無ければ、膨張の後の静止、収縮も考えられない

 どう考えても、未知数部分が多く、矛盾が存在する。この矛盾部分が、大宇宙∞のブラック

ボックス部分で、大宇宙∞そのものか、神なる者が秘密にしている部分である。

 これを解明する事は、挑戦だが、大宇宙∞が与えた知性ある生物への命題でもあると思われ

る。この難問に気付けた時点が、現代である。科学が発展してきて、神なる者の存在が否定さ

れて来た昨今に、また、再熱した神の存在を肯定的にとらえる機会であるとも思われる。

 続きはまた今度に。

                            2018年11月17日 著者