正義について

2018/07/02

 読者の皆様へ。

 正義について考えましょう。

 正義とは何か、一概に言うことは出来ません。私が正義を定義するなら、利害関係が

一切としてなく、人の為に尽くして、自分を犠牲にし、正しい行い(世の中の為になる)

をして、社会貢献し、新しい何かを世界に発信することであるとします。

 いくら立派な会社の社長でも、権力を行使し、セクハラ、パワハラをし、金儲けの為

に必死になるのは只のビジネスで、少しも尊敬できません。金を稼ごうと考えた時点で

、如何に相手を、顧客を上手く話に乗せて、製品、サービスを買わせるかに走るからで

す。

 稼いだ金を世間に還元するのなら分かります。ですが、それをひけらかして金の力で

人にものを聞かせるという態度が既に正義から反して悪魔の所業です。

 金儲けの発明の為の特許など、無意味です。一時的なものなので。発明とは、ある人

がある発明を閃きにより得た時点で、神はそれを観ていて、発明者に褒美を取らせるの

です。真理に辿り着いた証しとしての力をくれます。

 手段を問われるのも勿論です。ずるをして得た知識、盗んだ知的財産、お金など、持

っていると恐ろしいものです。後に、必ず心が冷えると思います。

 私は自分自身にやましい事など一切としてありません。道に1000円が落ちていて

も拾わないでしょう。汚いお金を財布に入れたく無いからです。

 かといって、法律を完全に守るのも不可能です。法律の規定文が、曖昧に書かれてい

るからです。故意ではない軽度な法律違反(歩道を歩いていて他人の敷地に足を踏み入れ

る)は気になりませんが、故意の法律違反は必ず人間なら心を痛めるでしょう。

 大抵の場合、それは心に闇を落とします。卑屈になり、ビクビクして、臆病になる。

そうして、心を病みます。それから逃れるには、魂を悪魔に売り悪人になるか、相手に

謝罪して心を軽くするしかありません。悪人になるのは人生を捨てる、ずっと先の未来

を捨てる事で、直接的に謝り誠意を伝えると直ぐに幸福が神から与えられます。

 私は宣教師でも、宗教法人でも無いですが、当たり前の事です。真っ直ぐに人の目を

見ることが出来ると、心が病んでいない証拠です。

 続きはまた今度に。

                           2018年7月2日 著者