2019/05/15
読者の皆様へ。
1の続きです。
前に、ブログで書いた事だが、地球上である目的地にAさんとBさんの2人が出掛ける
事を考える。Aさんが1時間前に徒歩で出掛けて、目的地に到着してBさんがその後に、
出掛けてAさんとほぼ同時に目的地に到着したとする。
また、若者と老人の主観的時間経過の感じ方も異なる。
もっと光速度なら、宇宙規模に成るが、光速の1000倍の速度を仮に出す事が出来
ると、時間経過の感じ方も異なるはずです。
ミクロに考えて、地球上で衛星中継でサッカーの国際試合が行われていて、それをTV
で観ている人は、観客席で観ている人達より、数秒かレイコンマ数秒のタイムラグがあ
り、目に飛び込んでくる映像が遅れて熱狂も遅れる。実際のプレイヤーは、シュートを
打った時にボールの軌跡が見え、スローモーションの様にゲットした感覚が分かるはず
だ。
時間経過という直線上に皆が乗って無くても、空間上での位置情報で近付くと多少の
タイムラグが許されている気がする。自室の中でも、1つの蛍光灯から出た光が、壁や
あちこちに反射して自分の目に飛び込んでくる。タイムラグのある光なのに、脳が補正
して景色として見る行いをする。
これは時間経過という不思議なものと、光と物質と、空間的距離の相互作用であると
思われる。
物質、空間、時間は区切る事が出来る。物質は、物や動物といった形で区切られる。
空間も距離という形で区切られる。時間は、そうはいかない。何故なら、時計で決めら
れた1秒を刻んで、それぞれ2人の人が時刻調整をして、タイムラグを無くさないと、
また自分と場所とを考慮しないと、相互に待ち合わせする事さえ出来ない。
続きはまた今度に。
2019年5月15日 著者