2018/06/02
読者の皆様へ。
光の根本を考えましょう。
まず、日本語で『光』と言うと、金属による反射物を思い出します。昔から、金属
でも、より光輝いている物が重用されていました。
虫でも、玉虫の様に、光輝いているもの、鳥、米、全てに光を当てた時の輝きで、
質を見極めてきました。
一方で、英語では、光は『ライト』と発音します。権利も『ライト』と近い発音を
します。語源がどうかは解りませんが、神に韻を踏まされているのは明確です。
中国では、過去に学者である、『孔子』がいました。これは、日本語で『光子』と
韻を踏みます。その弟子達が、『性悪説』と『性善説』を唱えたと聞きます。
やはり、学問で真実を追及していくと、答えに近付いてきます。
宗教に時として、学問は真実を導き出しても『否定』されてきました。何故かとい
うと、宗教にとって真実は時として『不都合な事実』だからです。
現代社会になって、真実は次第に認められてきました。しかし、1番重要な真実は
未だ認められていません。人間が『矮小な存在』で、神、大宇宙∞の創造物であると
いうことです。
そこは、もう認めましょう。利口な人であるならば。たった地球1惑星上の100
歳程度しか生きれない人間に、力がありますか? どのみち、滅んでしまってはもと
もこも無いと、気付かされた時代です。
皆で、地球と人間の未来について、考える時代です。
続きはまた今度に。
2018年6月2日 著者