伝統と伝聞と宗教の変化について

2019/08/11

 読者の皆様へ。

 伝統と伝聞と宗教の変化について考えましょう。

 伝統とは、変化を求めない保守的なものです。例えば、まつりごとです。しかし、

世の中は常に変化をしている訳ですから、伝統の中にも新しい発想を取り入れる人々

が必ず居ます。

 伝聞では、必ず他人から聞いた出来事には、自分なりの解釈を加えます。歴史上の

出来事や人物も、時代と共に評価が変わり、正しい解答はありません。

 要するに、最初の出来事だけが真実で、後から加えられる出来事は、脚色に成る訳

です。だから、時代と共に、文化が変化をして、新しい文化が産まれる訳です。

 宗教にしても、最初に興した人が正しい教えであって、その弟子達は宗祖の教えを

独自の解釈を加えて改良していきます。時に、権力と結びついたり、民衆の立場に立

ったりして。

 仏教を例に挙げさせて頂きますと、大陸から伝わって来たものを、日本国独自の文

化と融合させて、時代と共に新しい宗派を派生させて行く。時に、文人であったり、

僧兵であったり。

 昔の僧侶は、純粋に悟りを開いた宗祖の教えを貫いて、現在の僧侶はしかし、普通

の人と同じ様な暮らしをしていて肉も食べて、禁欲もしていません。

 私は宗祖でも、宗教信者でもありません。真実を見付けて、正しい事だけを求める

事をします。間違いは、間違いと言い、正しい事を正しいと言いたいと考えます。

 だからこそ、大宇宙∞の存在の意味と、誰が、いつ、何処で、どの様に造り上げた

のか、又は、自然発生したのか考えています。

 導き出した答えは、必ず、『物質』『空間』『時間』が複雑に絡み合い、物理的、

化学的、生物的に存在している事です。だから、私は大宇宙∞の一部としての自分を

弱い者と認め、大宇宙∞の存在を大いなる偉大な存在『神』と言っています。

 人間が宇宙に出て行こうとするのは、やはり、地球上が有限であり、有限の命しか

持たないからだと考えています。人間1人の命は、80歳~100歳程度ですし。

 人間は結局は自分自身の為だけに生きています。他人の為、子孫の為だと言っても

、結局は自分自身を最優先します。仮に、水の無い咽がカラカラな時に、他人に水を

欲しいと言われて、それが最期の水だとして、金1キログラムと替える人はいません

よね。

 何故なら、水は命を留める物で、金は物が豊富に存在している時に初めて価値が出

来る物だからです。

 仏教に話を戻すと、最初は命の大切さに気付いた人が皆にその事を伝えて、それが

時代と共に権力構造と絡んで行き、派閥が出来て、戦いの原因に成っています。

 要するに、何が本当に大切なのかと問われると、人間としての存在意義と尊厳と、

大宇宙∞での存在する意味で、結局は、この大宇宙∞は何の為に存在していて、誰が

、いつ、何処で、どの様に造り上げたのかという疑問に突き当たり、その存在に感謝

をしなければ成らないのではないかという事です。

 続きはまた今度に。

                         2019年8月11日 著者