2018/08/24
読者の皆様へ。
神による大宇宙∞創造の瞬間について考えましょう。
やはり、物には創造者が存在する。小さいものから順に並べていくと、日用品の道具、車、
電車、家、ビルディング、スポーツ、学問、経済、科学。これらは、人間の創造物である。
次に、生命があげられる。微生物から、人類まで、創造して育んでいるのは地球である。
最後に、天体。これは、物質、空間、時間である。
では、大宇宙∞は誰の手によって創られたのか? これが、説明をするのが難しい。よく
、鶏が先か、卵が先かという議論があがる。要するに、大宇宙∞が先にあったのか、神が先
にいて、大宇宙∞を創られ賜れたのかということである。
私は、時間が過去にも未来にも永遠だと考えているので、神が『我思うゆえに我あり』で
、神と大宇宙∞は同時だが、過去にも未来にも既に存在していたと考える。
進化論を肯定的にとらえると、先ず、鶏がいて何らかの繁殖方法をとっていたのが、卵を
産む方法を神によって与えられたと解釈する。その方が、低知能動物としては、卵を沢山産
む事により、子供の生存確率が低くても種が存続しやすいし、母の体も安全だからだ。
哺乳類になると、高知能故に、子に対する母の愛情が強く、ただ、産み落とすという訳に
はいかないという理屈だ。
話は戻り、大宇宙∞と神とは同じもので、大宇宙∞が先に存在していて神が産まれたとな
ると、神の母は大宇宙∞となり、無限の命と魂と力を持った神が、大宇宙∞より1段下に位
置つけられることになりおかしい。一方で、神が先に存在していたならば、神とは存在して
いない何か(物質、空間、時間を持たないもの)で、得たいが知れない何もない『無』となる
。
だから、大宇宙∞と神は同じものでないとおかしい。何か、仮に人間の様な者がいて、
それが大宇宙∞より巨大で、実験室的に神が大宇宙∞を創られたのなら、また神の生活居
住空間があって、変な話になる。もしかしたら、それが天界そのものなのかもしれないが。
続きはまた今度に。
2018年8月24日 著者